ブラックマーケット調査

・・・すこし手直し中・・・

なぜギャングは本を盗んだのか /ダンテ『神曲』など希少本盗難事件

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数億円の価値がある大量の希少本が一夜のうちに盗まれる。

フィクションのような話に聞こえますが、この事件は実際にロンドンで起きました。それも映画のような手口で。

この事件はロンドンのフェルサムで起きたこと、ターゲットが希少本であったことから「Feltham book heist」と呼ばれることがあります。

なお、本文中では窃盗団メンバーやルーマニア・ギャングの名前はアルファベット表記のままにしています。単純に筆者がルーマニア姓名のカタカナ表記に触れた経験がないためです。ご了承ください。

 

ミッションインポッシブル・スタイル

2017年1月29日深夜、ヒースロー空港から1マイルのフェルサムにある税関倉庫が狙われた。

窃盗団が侵入したのはフロンティアフォワーディング税関倉庫。彼らは倉庫の屋根に梯子を使って登り、天窓に穴を空けて12メートルの高さからロープで垂直下降して侵入した。この「ミッションインポッシブル・スタイル」は成功し、モーションセンサーを欺いて安全に倉庫内の物品に手を付けることができた。

倉庫にはアメリカのブックフェアに並ぶ予定の希少本が一時的に保管されていた。盗まれたのはそのうち240冊で、被害額は3億円以上に及ぶ。

犯人は多くの本の中から最も価値が高そうなものを選んだと見られている。重い本を天井まで運ぶのには相応の労力と時間が必要だったに違いない。犯行は5時間にも及んだ。下調べに自信があり、安全な場所だと評価していたことの表れでもあるだろう。

盗まれた本には、以下のような価値の高いものが含まれていた。

ケプラー『宇宙の謎』のコピー(アインシュタインが所有していたもの)
ニュートン『自然哲学の数学的原理』1777年版
ボッカッチョ『名婦列伝』1497年版
ダンテ『神曲』1569年版
コペルニクス『天球の回転について』1566年のラテン語
ダヴィンチ『絵画論』1651年版

他にもガリレオエウリピデス等が窃盗団によって持ち去られた。

12時間後には本の持ち主たちに連絡が届いたが、そのショックは察するに余り有る。あるブックディーラーの言葉通り、盗まれたものは「その辺で買える」ものではなく、仮に保険金が出されたとしても愛好家の彼らにとっては「お金の問題ではない」のかもしれない。

 

ルーマニアのギャング窃盗団

窃盗団の1人を偶然に逮捕

犯人の逮捕は意外な形で始まった。

事件から1年経たないうちに窃盗団の1人が逮捕された。ルーマニア北東で道交法の取り締まりをしていた警察に止められたバンの運転手が、たまたま団員だったのだ。

運転手は積んでいた新品のノートパソコンとスマートフォンについて怪しまれ、購入の証明を求められてしまった。提出されたレシートを警察が確認すると、シリアルナンバーが2週間前にイギリスの倉庫から盗まれたものと一致した。

実は窃盗団は本だけを盗んだ訳ではない。広くイギリスの倉庫から似た手口で物品を盗んでいたが、取得物の大部分を占めるのがノートパソコン等の電化製品だった。

運転手の名前はNarcis Popsecu。窃盗団でドライバーの役割を担っていた人物である。

彼の逮捕が窃盗団全体の逮捕につながったのは確かだが、手掛かりはそれだけではない。警察はあるルーマニア・ギャングに心当たりがあったのだ。

 

危険視されていたルーマニア・ギャング

本の盗難事件を受けて、3月下旬にはヨーロッパ4か国を抱合する合同捜査チームが結成。この時点でルーマニア人の犯行であることはある程度把握していたらしく、事件現場にはルーマニアの刑事も同行したという。

ルーマニアでは、国内のギャングが国外で不法に資金を得て力を蓄えていることが社会問題となっていた。ルーマニア政府による抑制を困難にしているギャングたちの行動を、イギリスの刑事が知らないはずがない。

そして「ある密告」から、捜査チームは倉庫襲撃犯の重要人物としてルーマニア・ギャングのGavril Popinciucをマークしていた。

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窃盗団のメンバー12人。モザイクは筆者加工。 引用:Mail Online 撮影はロンドン警視庁

 

窃盗団の頭、PopinciucとUnrgureanu

Gavril Popinciucは、もう1人のルーマニア人Christian Unrgureanuと組み窃盗団のリーダーを務めた。どちらがより強い決定権を持つかは、いくつかの争点により明確にしづらいようである。

少なくとも確かなのは、Popinciucが総合的な監督や調整を行い、Unrgureanuはより実務的な責任を持っていたことだった。これは犯行現場での携帯電話の通信記録からも明らかになっている。

 

計算された連携

倉庫への侵入を担当したのは若くて身軽なVictor OpariucとDaniel Davidの2人であった。この2人は事件直前の1月27日にルーマニアから飛びロンドン・ルートン空港に到着後、運転手Popsecuのルノーで犯行現場に向かっていた。フライトデータから判明した情報である。

1月29日の深夜、倉庫に降り立ったOpariucは電話でUnrgureanuに何度か連絡した。そしてUnrgureanuはPopinciucに情報を伝え、Popinciucがルーマニアにいる運搬役Marian Mamaligaに連絡、Mamaligaはバンに乗りルーマニアからイギリスへ向かった。

本の盗難から2日後の2月1日、リーダーChristian Unrgureanuの弟、Ilie Ungureanuがドイツから飛行機でイギリスに到着。その4日後にはMamaligaと共に本を積んだバンでユーロトンネルを通り抜けてルーマニアへ向かった。

窃盗団はこのように細かい役割分担をし、犯行のたびにイギリスへの「短期旅行」をすることで警察の追及を逃れようとしていたようである。

 

DNAによる追求

捜査チームは早期から、リーダーPopinciucをマークしていたが、偶然にも運転手Popsecuを逮捕したことで勢いづいた。

Popsecuが窃盗団の一味であることは、倉庫襲撃後に放置されたルノーに残っていたDNAと一致したことでより確かなものとなった。車内には強烈な「漂白」の臭いが充満していたが、洗浄が甘かったらしい。ヘッドレストからPopsecuのDNAが発見された。

同じく、倉庫に残っていた金属片(梯子の一部とみられる)から採取されたDNAによって、侵入担当の1人Daniel Davidが浮上した。

綿密に計画を練った窃盗団も、わずかな不注意から追い詰められていった。

 

窃盗団12人の逮捕と裁判

逮捕と裁判

2019年6月25日、捜査当局が「Z-Day」と名付けた日。

イギリス、イタリア、ドイツ、ルーマニアの司法関係者が一斉に家屋の捜査を開始。ルーマニアではPopinciuc、Opariuc、David、Mamaliga、Popsecuと他3名のギャングが逮捕された。ドイツではIlieが、イギリスではMarianと他2名が手錠をかけられ、2020年1月にはイタリアのトリノでChristian Unrgureanuが逮捕された。

 

2020年10月1日と2日、ギャングたちに判決が言い渡された。

 

Christian Unrgureanu(41):リーダー。刑期5年1か月

Gavril Popinciuc(45):リーダー。刑期5年8か月

Narcis Popsecu(34):運転手。刑期4年2か月。

Traian-Daniel Mihulca(32):車両の調達。ノートパソコンを自宅に保管した。刑期4年。

Ilie Ungureanu(37):本の輸送係。刑期3年8か月。

Victor Opariuc(29):倉庫侵入担当。刑期3年7か月。

Vasille Ionel Paragina(28):刑期3年8か月。

Marian Albu(41):イギリス出身。本の輸送係。刑期4年。

Liviu Leahu(39):刑期3年8か月。

Daniel David(37):倉庫侵入担当。刑期3年7か月。

Paul Popeanu(35):イングランド出身。刑期3年3か月。

Marian Mamaliga(34):本の輸送係。刑期4年1か月。

 

出身地は特に断りなければルーマニア出身。12人全員が1件の強盗共謀の罪、または犯罪財産の隠匿、変換、偽装、譲渡、除去の共謀罪1件、あるいは両方について罪を認めた。

しかし誰一人、どのようにして、なぜ本をターゲットにしたのかは語らなかった。

 

盗まれた本の発見

ギャングたちに判決が下される数日前の2020年9月16日、ルーマニア当局は北東部ネアムツの家で盗まれた本を見つけた。本は複数のカバンに詰められ、コンクリートの床の下に眠っていた。

240冊のうち4冊は行方不明のままであるが、残りはひとまず確保できたことになる。ただしそのうち83冊は湿気やカビ、または輸送時の衝撃で損傷していたという。28冊は「かなりの損傷」、2冊は「非常に深刻な損傷」を受けたと報告されている。

本を受け取った元の持ち主たちはそれぞれ喜びの声を上げ、ロンドン警視庁は「この作戦の完全な終焉」と語った。

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回収された本。 引用:The Guardian 撮影はロンドン警視庁

当局が本の隠し場所を知った経緯については語られていない。

この家は Unrgureanu兄弟が実家の隣に新たに建てたものである。被告から情報を聞きだしたと考えるのが自然ではあるが、それについてもうやむやにしている。

ロンドン警視庁アンディ・ダーラムは、ギャングの判決間近に本が見つかったことについて次のように答えた。

「いいえ、偶然ではありません」

そしてロンドン警視庁の声明はこうも述べている。

「我々は、被告が警察に協力したかどうかを認めることも否定することもない」

 

なぜ本が狙われた?

国際古書店連盟の警備委員長ブライアンは「このような本の強盗事件は聞いたことがない。驚くべきことだ」と語った。

歴史的に見ると、希少本の盗難は2パターンに分けられる。

1つは本にアクセスする権限を持つ人物による犯行。カーネギー図書館の希少本の管理者による窃盗事件が好例である。この管理者は20年以上かけて300冊以上の本を盗み出し、とあるブックディーラーと共謀して偽の「図書館から手放された」証明を施したうえで販売した。

もう1つは個人コレクションとして本を盗み出すパターンである。

 

絵画の盗難と同じように、希少本の盗難も発覚すれば盗品リストに上がり売買は困難になる。今回の大規模盗難事件後も、盗難発覚から2週間以内には国際古書店連盟によってリストアップ&公開された。

基本的には売るつもりなら犯行の発覚を遅らせる必要がある。しかし明らかに窃盗団は隠す気がなかった。身代金の要求もない以上、盗まれた本はマフィア・ギャングお得意の「減刑のための担保」として確保された可能性がある。

 

この疑問には、ロンドン警視庁の古美術品部門の元班長ディック・エリスが回答している。
彼によれば「犯罪の裏社会が、美術品と同じように本を担保にするとは思えない」。エリスは根拠を述べてはいないが、経験則によるものかもしれない。

さらにエリスは「彼らは「どうやってこれを売るか?」を考えなかったんだ」、「そしてそれは不慣れな分野に足を踏み入れたプロの犯罪組織だと私に思わせる。実際に本をどうすることもできていなかった」と述べている。

その言葉通り、確かに窃盗団は本を専門に盗んでいたわけではなかった。

 

窃盗団のイギリスでの活動は2016年12月~2019年4月とみられており、類似の手口で商業用倉庫が狙われた。本が盗まれたのはそのうち1件のみであった。盗まれたのは主にスマートフォンやノートパソコン等の電子機器だった。希少本の窃盗が目立ったことで捜査が強化された一面もあるが、窃盗団のメインターゲットは電子機器であったことは明らかだ。

エリスは次のようにも語っている。

本の盗難はここ10~15年の間に進化を遂げている。「以前は原稿や希少本の窃盗は珍しく、図書館員や学者など、アクセスできる人による犯行が多かった」。しかし目立つ盗難事件が起きるたびに、希少本は盗む価値があるものだと認識されるようになった。「人々は本を比較的狙いやすいものだと認識するようになったのです」。犯罪組織がチャンスに気づくのは時間の問題だった。

 

人身売買ギャングとの繋がり

窃盗団のリーダーGavril Popinciuc。彼は事件のすぐ後にマークされたことからわかるように、ロンドン警察にとって良くも悪くも有名だったに違いない。というのも、Popinciucの「ゴッドファーザー」はルーマニア・ギャング界で名をはせたIoan Clămparuであったからだ。ロンドン警視庁は、本件の窃盗団をClămparuグループの一員とみなしている。

 

Clămparuは現在30年の刑に服している。彼は2000年~2004年にかけて数千人の女性と少女を人身売買するヨーロッパの売春組織を運営していたとして、インターポールから指名手配を受けていた。

Clămparuのやり方は卑劣なものだった。

ウェイトレスの仕事を女性たちに紹介し、書類やスペインへの移動の費用を給料から返済することに合意させた。しかしスペインのアパートに着くと女性たちはパスポートをとり上げられ、売春を強要された。殴って従わせられることもあったという。

Clămparuは女性たちにも組織的な構成を作らせていた。3~4人の女性の上に「マダム」を置き、マダムのグループを「チーフ」がまとめていたようである。冬になるとClămparuは女性たちに、まるでサッカーチームのように同じ上着を着させた。

 

Clămparuは常に陰から組織を運営するよう努めていたらしく、スペイン警察の警部補によれば「彼はゾロみたいだった。存在することは知っていても、誰も見たことがない」という。

 

ClămparuグループのメンバーはOCCRPのデータベースによると約12人とされている。さらにインターポールは逮捕状にてグループの14人が2004年に逮捕されたとしている。正確な数の把握は難しいと思われるが、直属のメンバーはおよそ十数人規模と見て良さそうだ。

Clămparuには殺人や麻薬密輸、キャッシュカード複製などの容疑もかかっているが、詳細は不明である。

彼は2011年にスペインで逮捕されている。一説には、売春婦と恋に落ちたタクシー運転手が情報提供し、雇われたタクシーの追跡でClămparuのアジトが見つかったとも言われている。

 

 

あとがき

 

なぜ本が狙われたのかという疑問については、法執行機関が公表する限り明確な答えがある訳ではないようです。過去の事例に照らし合わせた上で「現在は犯罪組織も希少本の価値に気づき始めている過渡期にある」と結論づけたほうが今後のためにもなるのかもしれません。

本事件では犯人たちから答えを引き出せていないままです。倉庫に本があることをどうやって知ったかという疑問もありますが、おそらく倉庫を管理する側に内通者がいたのだろう、という考えが警察のなかでメジャーになっています。ただし内通者らしき人物は見つかっていません。

 

ルーマニアのギャングについてはFBI、ユーロポール、インターポールのサイトを見る限り、群を抜いて危険な存在とまでは言えない段階であるように思えます。ただしスペイン-ルーマニアに代表される「バルカン・ルート」は2021年になっても活動的です。このルートではやはり人身売買がメジャーとなっているようです。

また、バルカン半島は地理的にアジア・東欧(ロシア含む)・西欧を繋げる犯罪のハブとして利用される可能性が危惧されています。重篤な貧困地域が存在することもあり、活動しやすいのかもしれません。

ちなみにGavril PopinciucとIoan Clămparuはともにルーマニアで非常に貧しいと言われる北東部の出身です。犯罪行為が収入源の1つとも言われるような地域だったと言われています。

 

 

参考文献(重複あり)

ミッションインポッシブル・スタイル

https://www.dailymail.co.uk/news/article-8795145/Ringleaders-Romanian-Mission-Impossible-gang-jailed-five-years.html
https://www.theguardian.com/uk-news/2017/feb/12/thieves-steal-2m-of-rare-books-by-abseiling-into-warehouse
https://archive.vanityfair.com/article/2021/4/the-case-of-the-purloined-books

ルーマニアのギャング窃盗団

https://www.harrowtimes.co.uk/news/18767317.gang-raided-warehouses-stole-books-galileo-newton/
https://archive.vanityfair.com/article/2021/4/the-case-of-the-purloined-books

窃盗団12人の逮捕と裁判

https://www.bbc.com/news/uk-england-london-54885299
https://www.theguardian.com/uk-news/2020/sep/18/rare-books-stolen-london-heist-found-floor-romania
https://www.theguardian.com/books/2020/dec/13/tome-raiders-solving-the-great-book-heist
https://archive.vanityfair.com/article/2021/4/the-case-of-the-purloined-books

なぜ本が狙われた?

https://www.theverge.com/2017/2/15/14592830/rare-books-stolen-2m-thieves-london
https://www.theguardian.com/books/2020/dec/13/tome-raiders-solving-the-great-book-heist
https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/theft-carnegie-library-books-maps-artworks-180975506/
https://www.theguardian.com/uk-news/2020/sep/18/rare-books-stolen-london-heist-found-floor-romania

人身売買ギャングとの繋がり

https://www.policija.si/images/stories/NovinarskoSredisce/SporocilaZaJavnost/2010/julij/05-interpol_tiralice/CLAMPARU.pdf
https://www.occrp.org/en/daily/1351-romanian-human-trafficker-sentenced-to-30-years
https://english.elpais.com/elpais/2011/07/06/inenglish/1309929643_850210.html
https://www.occrp.org/en/daily/1351-romanian-human-trafficker-sentenced-to-30-years

 

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