ブラックマーケット調査

・・・すこし手直し中・・・

犯罪者たちの実験場 /4回襲われたラスボローハウス

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画像引用:russborough公式

ラスボローハウスはアイルランドの首都ダブリンのすぐ南、ウィックロー州にある邸宅です。200エーカー(東京ドーム約17個分)の敷地内にあるハウスには、個人所有の美術品が収蔵されていました。

18世紀に建てられたこの壮大な邸宅は観光名所となっていますが、皮肉なことに強盗事件の現場となったことでより知名度を上げたと言えるでしょう。

ラスボローハウスで起きた絵画の盗難事件は、計4回。

犯罪者たちはそれぞれの動機を持ち、ここに集まってきます。まさに犯罪の実験場と言っても過言ではない状況でした。

 

1回目:IRA、ローズ・ダグデール

反逆のデビュタント

1974年4月26日。当時ラスボローハウスを所有していたのはアルフレッド卿夫妻だった。アルフレッド卿は莫大な資産で多くの慈善事業を営みつつ国会議員の経歴もあり、名誉アイルランド国民とまで呼ばれる人物である。

午後9時を回った頃、夫妻はクラシックのレコードでくつろいでいた。

そこへ突然3人の男女が乱入し、ベイト婦人をナイロンタイツで縛って地下室へ引きずりおろし、アルフレッド卿を拳銃で殴りつけた。襲撃者たちの暴力的な振舞いは憎しみさえも感じさせる。彼らは夫婦を罵倒した。「資本家の豚!搾取者!」。

その間、哲学と経済学の博士号を持つ1人の女性が冷静に品定めをしていた。

彼女の名前はローズ・ダグデール(Rose Dugdale)。17歳でアイルランド共和軍(Irish Republican Army: IRA)に加入した良家育ちの女性である。ダグデールはイギリスでの特権的な生活を捨て、革命家として犯罪行為に手を染めるようになっていった。『タイム』誌はダグデールを「反逆のデビュタント(Renegade Debutante)」と名付けた。

IRAは、イギリスの支配に反対しアイルランドの独立を掲げる非正規の武装組織と解釈されている。その活動は犯罪性が高く、武器の調達と幾多の爆破事件を通して危険性を高め、アイルランドとイギリスの両者から危険視されていた。

一味は、ルーベンス、ゲインズバラ、ゴヤなどの名画19点を持ち去った。

この事件でひときわ目を引いたのが、世界で唯一の個人所有のフェルメール、『手紙を書く婦人と召使』が奪われたことである。被害総額は800万ポンド以上と見積もられた。

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フェルメール作『手紙を書く婦人と召使』

10日後

ダグデールは逮捕されたIRAの爆弾魔ドロアス・プライスとマリアン・プライスの釈放を要求したが、当時、当局がどう反応したのかは不明である。

ダグデールは奪った絵とともにラスボローハウスから遠く南に離れたコーク州へと逃亡し、事前に偽名で借りたコテージに絵を隠した。しかしこれは悪手だったようだ。

コーク州警察は有力な情報を掴んだ。ダグデールにコテージを貸した人物から、最近カタコトの英語を喋る女性に会ったとの情報提供があったのだ。結局、事件から10日後にはダグデールは逮捕され絵も保護された。

 

2回目:アイルランド・ギャング、マーティン・ケーヒル

洗練された犯行

1986年5月22日に起きた2度目の襲撃は、一転して「おだやかに」行われた。

犯人たちはまず窓ガラスを破壊。警報が鳴り響いたが、彼らにとって不測の事態などではない。駆けつけた警官たちをよそに彼らは茂みに隠れ、警官が去った後で計画通り、絵を盗み始めたのだった。

ダグデールらの時と異なり、額縁ごと持ち去ったのも手慣れた感がある。家主のアルフレッド卿もロンドンに出かけており、誰一人傷つかずに盗難は完遂された。

フェルメール、メツー、ゴヤ、ゲインズバラ、ルーベンスの作品など計18点が盗まれたが、多くが1回目の襲撃でも盗まれたものだった。フェルメールの『手紙を書く婦人と召使』も再び盗まれたものの1つである。

再び被害に遭ったアルフレッド卿は、テレビのインタビューに対し「'前回と同じように政治的な性質の泥棒に盗まれたのだと思う」と語っている。しかし今回の犯人には政治的思想などなかったようだ。

夢物語

犯人はマーティン・ケーヒル(Martin Cahill)率いる13人のギャング。大胆な犯行を得意とし「ジェネラル(将軍)」と呼ばれたケーヒルは、アイルランドのギャングの中でも悪名高い人物であり、ダブリンで強大な力を振るっていた。

人々は彼の報復を恐れて情報提供できなかったとも言われている。

ただしケーヒルの成功への夢は儚く未熟なものだった。

ケーヒルフェルメール返却に2000万ポンドの身代金を要求したが、支払われなかった。さらに美術品密輸組織へのコネを持っていなかったため、思うように売ることもできない。八方塞がりである。

事件の翌日には絵画18枚のうち7枚が現場から4マイル離れた側溝の中で発見されている。価値がないと思ったのか、運搬に困ったのかは不明だ。

そんなケーヒルの見通しの甘さを、アイルランド放送協会は以下のように皮肉っている。

「リビングに飾られた安物の白鳥の絵のような微笑ましいものに過ぎない。盗んだ名画が自分に富をもたらすと信じていたのだ」

ケーヒルは麻薬を買うために100万ポンドの融資を受けたかった。結局、その担保として彼はフェルメールを利用することにしたらしい。

ケーヒルはアートディーラーからフェルメールを担保に100万ポンドを受け取り、それを別の犯罪行為に投資してその後ローンを返済し、再び戻ってきたフェルメールをさらに将来の融資の担保として利用しようともくろんでいた。

表の世界では数1000万ポンドの価値を持つフェルメールだが、ブラックマーケットに働く特有の論理で100万ポンドの価値に落ちた。これはケーヒルにとって計算外だったに違いない。

フェルメールの『手紙を書く婦人と召使』、ゴヤの『ドナ・アントニア・サラテの肖像』、メツーの作品の3点以外はうまく売れなかったようだ。様々な犯罪者の手を渡り歩いた後、数年の間にロンドンやベルギー、オランダ、トルコなど多くの場所で発見された。

後に美術警察がフェルメール含む3点の絵を取り戻したのだが、いきさつは中々にドラマチックである。

1993年の9月1日、ロンドン警視庁の美術警察チャーリー・ヒルフェルメールを探すアラブ人を買い手に持つ美術商を装い、ギャングたちと接触した。

アントワープの立体駐車場でヒルはたった1人でギャング達と取引を行い、決して感情を表に出すことなく、3点の絵を入手することに成功したのだ。

ヒルは後にこの出来事を「人生最大のスリルだった」と語っている。

ケーヒルの死

「ジェネラル」ケーヒルは1994年に暗殺された。

レンタルしたビデオテープの返却に向かう道中、交差点待ちの車内で.357マグナム弾を撃ち込まれて彼は息絶えた。レンタルしていたのは『ブロンクス物語』。マフィアのボスと勤勉な父親との交流を通して成長する少年の物語だという。

実行犯の正体は不明だが、殺害を仕組んだのはIRAという見方が有力である。ケーヒルの死後に複数の団体が犯行声明文を掲げたが、IRAのみが「他の誰も知り得ないはずの」情報を持っていたのがその根拠であるようだ。

彼が始末されるに至った理由は諸説ある。

ただしどの説にも共通項が横たわっている。アイルランド独立を信条とするIRAに敵対する、イギリス寄りの「アルスター義勇軍」に協力したことがケーヒルを死に追いやったという推測だ。(北アイルランドの歴史的問題について筆者は詳しくないので雑な解釈かもしれない)

彼はアルスター義勇軍に盗んだ絵を売って武器購入の手助けをし、隠れ家を提供することもあったと言われている。当時ギャングスタ―だったケーヒルの死は、強いメッセージ性を伴ったに違いない。

他にもIRAが嫌っていた麻薬を持ち込んだ説や、ギャング仲間の裏切りという説もある。もっとも、ならず者の死には憶測や謎がつきものではある。

いずれにせよケーヒルは死亡した。しかしラスボローハウスは、以降もケーヒルの幻影に苦しめられることになる。

 

3回目:アイルランド・ギャング再び

3回目の襲撃は2001年の6月に起きた。関係者も「またか」とうんざりしていたのではないだろうか。

今回はラスボローハウスの正面玄関にジープが突っ込み、少なくとも3人の武装した男が侵入。2点の絵画を奪っていった。

絵が壁から取り外された際に発せられた警報によって警察が5分以内に駆け付けたが、すでに犯人は逃走していた。計画的犯行であることは明らかだった。

2点のうち1つはゲインズバラ『ジョヴァンナ・バチェッリの肖像』で、さきのケーヒルによる襲撃によって盗まれたものだった。

ただし今回の犯人は致命的なミスを犯した。ジープに火を付けて証拠隠滅を図ったもののうまく燃えなかったらしく、重要な法科学的証拠を大量に残してしまったのだ。

手袋からは指紋が、シートからは毛髪が採取され、車両自体もダブリンの南部にあるクラムリンで盗まれて偽のナンバーを付けられたものと判明した。

さらに用意していた別の車で途中まで逃げた先で、あらかじめ計画していた一般人からのカージャックにも失敗したという。

盗まれた2点の絵も翌年の9月26日には回収された。犯行に関わったとされる人物もその3か月後には法廷に立たされている。美術品盗難という、解決に数十年かかることも珍しくない事件にしては異例の早さと言えるだろう。

事件の首謀者は、裏社会で「ザ・ヴァイパー」と呼ばれるクラムリン出身のギャングだった。彼はマーティン・ケーヒルの元側近だったと言われている。

 

4回目:またもアイルランド・ギャング

4回目の襲撃は、絵が取り戻された2002年9月26日の2日後に起きた。そのため、ある種の報復であるとの憶測もあったが、実際の動機は違っていたらしい。

今回はハウスの裏面からジープが突っ込んだ。そして5点の絵を盗んだ犯人たちは逃走したが、警察はかなり早い段階から前回と同じクラムリンのギャングが犯人だと睨んでおり、居場所を突き止めることに成功した。

犯人についての詳細は不明だが、どうやら前回とは別のグループが「俺たちはもっとうまくやれる」と思い立って行動にうつしたと見られている。今回の犯人たちもケーヒルと関係のあるギャング団に属していることがわかった。

ラスボローハウスは、まるで犯罪者たちの実験場だった。

犯行から3か月後、全ての絵がダブリン市内の民家の屋根裏部屋で発見された。住人の夫妻は、「謎の男たちに頼まれて、絵を預かった」と語っている。夫婦は盗品隠匿の罪で法廷に立たされたが、盗難そのものには関与しておらず捜査にも協力的であることから刑期は短縮され、執行猶予もついた。しかし夫は職を失ってしまった。

 

 

あとがき

 

ローズ・ダグデールとマーティン・ケーヒルが首謀者である1、2件目の襲撃については情報も多く、いかに世間の関心を集めていたのかが窺えます。両者ともその人生が書籍化または映画化されており、いわゆるカリスマ性のある人物だったのでしょう。

反面、3、4件目の襲撃になると極端に情報が少なくなります。犯人の名前さえよくわかりません。事件が早期解決したことや、北アイルランド問題とあまり関わりがないことが原因ではないかと思います。

 

ところで、本文で登場した犯罪組織が国際的にどの程度の影響力を持つのか?

気になったので調べてみました。

 

IRAアイルランド共和軍)とアルスター義勇軍

ともに日本の公安調査庁にテロ組織と位置づけられています。しかし影響はあくまで国内に留まり、国際的な脅威とはみなされていないように思えます。両軍とも21世紀には非武装化、反犯罪主義が進み、危険度は低かなり低下している模様です。

ただ、ユーロポールによればRepublican(=共和主義者グループ)の活動はいまだ危険な水準にあり、その存在を無視していません。武器調達に関して国外からの援助も受けているらしく、一定の警戒が続いているように受け取れます。

 

アイルランド・ギャング

ギャングについては、FBIでは特段、国際的な脅威としては挙げられていません。しかしアメリカにいち早く進出した犯罪組織として、歴史的には重要な役割を果たしました。

アメリカのアイルランド・ギャングの活躍は19世紀後半~20世紀初頭がピークだったようです。それ以降はイタリア系のマフィアなどの台頭により、弱体化せざるを得なくなりました。

1900年代はじめの、イタリア系ギャング「黒手団:マーノ・ネーラ」に対する「白手団:ホワイト・ハンド」結成と、1923年の白手団リーダー、ウィリアム・ロヴェットの死が象徴的と言えるでしょう。

アイルランド国内では、1970年代までは強盗を中心に行っていたようですが、1980年に入ると麻薬の取引を盛んに行い始めました。マーティン・ケーヒルもこの頃にラスボローハウス襲撃計画と麻薬取引の計画を立てていたと思われます。

2000年代になると法による締め付けが強まり、大物のボス達は海外へ(スペインが多い?)逃亡し始めました。近年では2000年に始まった2つのギャンググループの確執の残り火によって、時々銃撃戦が発生しているようです。

 

参考文献

 

1回目:IRA、ローズ・ダグデール

https://www.independent.ie/lifestyle/no-regrets-for-renegade-ira-art-robber-rose-dugdale-30238446.html

https://www.southernstar.ie/news/escape-to-west-cork-was-bad-move-for-suspect-in-art-heist-4218607

2回目:アイルランド・ギャング、マーティン・ケーヒル

洗練された犯行・夢物語

http://www.essentialvermeer.com/fakes_thefts_school_of_delft_lost_sp/vermeer_theft_04.html

https://www.nytimes.com/1986/05/22/arts/paintings-are-stolen-in-ireland.html

https://www.irishtimes.com/news/beit-robbery-was-biggest-art-theft-in-state-s-history-1.123323

ケーヒルの死

https://www.irishmirror.ie/news/irish-news/ira-reveal-first-time-shot-23376274

https://www.independent.ie/irish-news/news/20-years-after-the-general-those-who-took-on-his-mantle-30531592.html

https://gangstersinc.org/profiles/blogs/irish-crime-boss-martin-the

https://www.belfasttelegraph.co.uk/life/features/public-enemy-number-one-38410402.html

3回目:アイルランド・ギャング再び

https://www.independent.ie/irish-news/suspects-face-charges-over-beit-art-heist-26036008.html

https://www.independent.ie/irish-news/3m-beit-heist-raiders-leave-vital-clues-behind-26084855.html

https://www.independent.ie/irish-news/woman-charged-after-theft-of-two-beit-paintings-26022859.html

https://nypost.com/2001/07/02/art-becomes-artillery-real-ira-swaps-stolen-paintings-for-guns/

4回目:またもアイルランド・ギャング

https://www.independent.ie/regionals/wicklowpeople/news/fourth-robbery-in-30-years-art-heist-from-russborough-27819734.html

https://www.independent.ie/regionals/braypeople/news/collection-targeted-four-times-27605972.html

https://www.independent.ie/irish-news/how-gangs-attempt-to-upstage-their-rivals-ended-in-failure-26015960.html

ps://www.independent.ie/irish-news/copycat-crime-gang-stole-priceless-beit-paintings-in-bid-to-outclass-rivals-26025106.html

 

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