ブラックマーケット調査

・・・すこし手直し中・・・

墓荒らしの王、ピエトロの功罪


アンギララのMuracci di Santo Stefano遺跡
画像引用:https://www.gismonda.it/en/2016/02/22/anguillara-sabazia/

 

 

墓荒らし「トンバロリ」

9年の刑期を過ごしたピエトロ・カササンタ(Pietro Casasanta )は自らの偉業を誇っていた。彼は明らかに考古学的に有益な発掘を成し遂げ、刺激的な人生を送った。ある遺物を発見した時を思い返し、彼は「心臓が止まりそうになった」と当時を振り返る。

ピエトロが学者であったなら喝采を浴びたかもしれない。しかし彼はひとりの墓荒らし、「トンバロリ」だった。

遺跡を許可なく発掘し、歴史的に重要なアイテムを私腹を肥やすために独自のルートで金に換える。イタリア語ではそんな者たちをトンバロリ(tombaroli:tombaは墓の意味)と呼ぶ。

ピエトロの自信は決して虚勢とは言えない。貧しくも考古学に魅せられ、知識と経験に基づく盗掘を行い成果を上げた彼を、ウォールストリート・ジャーナル紙は「墓荒らしの王」と呼んだ。

 

カピトリヌスの三神像

ピエトロは貧しく、教育を受けられなかった。

小さな店で手に入れた品を売り、その一部で考古学の古本を買う生活。彼は少しずつ、望みのある遺跡を見つける目を養っていった。

彼のやり方は大胆で、日中から建設作業員のふりをしてブルドーザーで遺跡を掘り起こすというものだった。彼曰く、「夜は人目につくし、ミスをしやすい」そうである。

1992年、ピエトロの努力はついに実った。

ローマの東、インヴィオラータの遺跡はすっかり発掘されきっていた。一か所に集められたガラスと大理石の破片が、もはや新たな発見が期待できないことを物語っている。しかしピエトロは接着されたメノウと珍しいパボナッツォ大理石を見逃さなかった。彼はここが「富に満ちた神殿」であったと見抜いたのである。

掘削を始めると、はじめに娘のミネルヴァが現れた。次いで母ジュノー、そして父ジュピター。三位一体の神々の像がそのまま並んでいる三神像は、これまでにない発見だった。


カピトリヌスの三神像。 画像引用:atlasobscura

ピエトロは三神像をローマにある自分の店に運び、買い手を探した。最終的にスイスの古物商に300万ドルで売ることが決定し、部下2人がワゴン車でスイスに運ぶことになった。

しかし三神像の発見に浮かれていたピエトロは足元をすくわれてしまう。共犯者の1人、モレノ・デ・アンジェリスが自らの報酬に不満を抱き、カラビニエリに発見のことを密告してしまったのである。そして捜査を担当したのは、遺産の保護や密輸捜査で名をはせた凄腕の美術捜査官、ロベルト・ライだった。

ピエトロの逮捕については特に語ることはない(というより詳細不明)。三神像も回収され、今ではパレストリーナの考古学博物館に保管されている。

確かに彼は盗掘者にすぎなかったが、彼の発見が貴重なものであったことに間違いは無い。そして彼にはもう一つの「功績」があった。

 

象牙の仮面

1994年、彼は故郷アンギララ郊外の遺跡から紀元前4世紀につくられた象牙の仮面を発見。これはたいへん希少なものらしく、ピエトロのもうひとつの偉業として数えられる。

ギリシャ神話の神アポロを模したというこの仮面は、当時としては例外的な手法を用いられた。象牙と金を組み合わせた等身大の彫刻を依頼できたのは、特権的な人物ににのみ許されたことだという。

ピエトロはこの歴史的に重要な遺物をドイツの古物商に1000万ドルで売却した。しかし支払いは約束通りに行われず、ピエトロは「10分の1も受け取れていない」とカラビニエリに訴えかけることになった。

ピエトロにとってはディーラーへの仕返しの意図があったが、もちろん仮面の出所を追及されれば彼は有罪である。結果、カラビニエリはロンドンで仮面を発見し保護。そしてピエトロの罪は重ねられてゆく。

 

墓荒らしの今

ピエトロが墓荒らしとして活動できたのは手口が巧妙だからではない。彼が活動していた頃は、確かに遺跡の監視が甘かった。相次ぐ文化遺産の違法売買にカラビニエリが本腰をあげてからというもの、盗掘物の発見件数は激減している。

カラビニエリ美術班のジョバンニ・ニストリ率いる部隊が発見した件数は、1990年代後半には年間1000件以上であった。しかし2006年には40件以下にまで減少した。

2005年に始まった、ロサンゼルスのポール・ゲティ美術館の元キュレーター、マリオン・トゥルーを相手取った裁判に象徴されるように、イタリアは自国の美術品の保護を強化している。(この方針はある界隈ではあまりに過激だと非難されることもある)

しかしトンバロリが文化遺産にとって脅威なのは、遺物が海外に消えるという理由だけではない。乱暴な発掘作業による遺跡の破壊が伴うからだ。

トゥルー裁判の検察官であるパオロ・フェリは、次のように述べている。

「ピエトロは英雄のように感じているし、彼が例外的な発見をしたのは事実だ。しかしトンバロリたちは特定のもの、つまり最も重要なものを探して掘る。彼らはその1つを取り、残りを破壊する。」

 

ピエトロが盗掘で得た金額は数百万ドルにのぼると言われている。しかし彼はそのほとんどをギャンブルと警察の差し押さえで失った。

刑期を終えて69歳となったピエトロは、生まれ故郷のアンギララでインタビューに答えている。

「若い新人がいなくなり、掘るのも売るのも難しくなり、商人のネットワークもすべてなくなってしまった。」

 

 

あとがき

 

日本ではあまりピンと来ないかもしれませんが、古代ローマの遺跡が多数残っているイタリアでの盗掘産業は、軍警察カラビニエリが警戒するレベルには盛んです。しかしピエトロのような有名人が数多くいるかというと、そうでもないようです。基本的には貧しい人々が日銭を稼ぐためにやるような事と言ってもいいでしょう。

本文にあるように、イタリアの盗掘市場は縮小傾向にあります。それはカラビニエリが頑張ったからだというのは確かかもしれません。遺跡の管理や盗品取引の監視が進んでいない中東はまだまだ盗掘のメッカでありつづけています。

 

 

参考文献

https://www.seattletimes.com/nation-world/italys-crackdown-on-art-looting-keeps-plunderers-in-check-for-now/

https://art-crime.blogspot.com/search/label/Pietro%20Casasanta

https://www.nbcnews.com/id/wbna19585643

https://historynewsnetwork.org/article/23067

https://www.wantedinrome.com/news/the-man-who-found-the-ivory-mask.html

https://www.repubblica.it/2009/04/sezioni/arte/recensioni/libro-archeologia/libro-archeologia/libro-archeologia.html?ref=search

 

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