シチリア島は美しい観光名所でありつつ、マフィア「コーザノストラ」を生んだ地としても知られる二面性のある場所です。
ここではあえて美しい礼拝堂や広場から離れ、マフィアによる傷痕を見ていくこととしましょう。
1947年:マフィアの都会化
かつてイタリアでは土地の所有と農耕が大きな利益を生んでいたが、戦後になると工業やサービス業が大きな利益を生んだ。
これには1947年の農地改革による大土地所有制の廃止が大きく影響している。
マフィアもかつての農地管理人(ガベロット)の立場からの農民へのゆすり、たかり、家畜泥棒から脱し、都市部での活動への順応を始めた。
同時に、マフィアはより大きな金を手っ取り早い方法で求める傾向を強めていった。政治的活動への参入、企業への浸透、肥大化していく野心。
「どうしてこれほどまでの利益に目を向けずにいられるか?」シチリアのマフィアが麻薬取引に手を出したのは少し後の1957年のことである。
当然、古いマフィアと新しいマフィアは衝突し、血で血を洗う争いが続いた。死者を弔う教会の鐘は鳴りやまず、パレルモ含む4県は「アヴェ・マリアの県」と呼ばれたという。
本文は裏社会による廃墟の乱立について扱うことを目標にしてはいるが、その前にマフィア都会化の過渡期を象徴する2つの出来事を紹介したい。
コルレオーネのルチアーノ・リッジョ
パレルモのコルレオーネ村で生まれたルチアーノ・リッジョ(Luciano Liggio)は新たなマフィアらしい向上心と残忍さを持っていた。
農地所有者を脅して希望の条件で農地を管理するガベロットとなったリッジョは、家畜殺しを得意としその凶暴さをアピールし続けた。彼には生まれつき脊椎の障害があり、下肢は部分的に麻痺していたが、誰も歯向かうことができなかったという。
リッジョは気性と殺しの腕を買われて、コルレオーネのマフィアとなった。農民運動の有力者が消えると、証拠がなくとも人々は口を揃えて囁いた。───リッジョがやったのだ。
リッジョは殺し屋としての才能を開花させていったが、簡単には逮捕されなかった。というのも、死体は彼だけが知っている岩盤の裂け目に投げ入れて処分していたからである。深さ70メートルに達する穴は、死体も、逮捕や復讐の恐れさえも飲みこんでいった。
さらにリッジョは運送会社を設立し、家畜の肉と土地開墾のための資材を運搬して富を蓄え始めた。こんなリッジョの行動に危機感を覚えたのが、医師ナヴァラである。
ナヴァラは医師ではあるが、裏の顔はコルレオーネのあるファミリーのボスであった。部下にあたるリッジョの不祥事をかばう等、寛容な面を見せていたナヴァラも、リッジョのダム建設事業への参入は見過ごせなかった。
古いマフィアにあたるナヴァラは水源の独占を通じて地域への支配力と威厳を高めていた。新たなダム建設は彼にとって、土地の利権を失いかねない。
リッジョとナヴァラの対決は、リッジョ派の死者13人、ナヴァラ派の死者29人──ナヴァラ本人も含め──をもってリッジョ派の勝利に終わった。
麻薬取引に同意したジェンコ・ルッソ
1954年、シチリアのマフィアを牛耳っていたカロージェロ・ヴィッツィーニが死亡。ジェンコ・ルッソ(Genco Russo)が後を継いだ。ジェンコにとってカロージェロは、息子の名付け親「ゴッドファーザー」でもあった。
晴れてシチリアのボスとなったジェンコだが、変わりゆくマフィアによる争いをおさえる力はなく、彼自身も手っ取り早く大きな利益を得られる手法に傾いていく。
1957年10月、アメリカ・マフィアとシチリア・マフィアのトップ会談が開かれ、出席していたジェンコはアメリカから来た(正しくはアメリカ政府に追放された)ラッキー・ルチアーノの手を借りて麻薬事業の確立に携わった。
伝統的なイタリア・マフィアは麻薬と売春を嫌った。一方、イタリアからの移民で構成されたアメリカ・マフィアは早期から莫大な利益をもたらす麻薬と売春に積極的に関わっていた。ボスをトップとする組織自体の企業化も進んでおり、早い段階から都会のマフィアとして順応していたとも言える。
ラッキー・ルチアーノはマフィアをひとつの企業(営利組織)として運営していくべきだという信念を持ち、アメリカ・マフィアに変革をもたらした人物でもある。イタリア・マフィアは企業化のノウハウも同時に手に入れた。
腐敗した公共事業
時を同じくしてシチリアでは増加する人口に対応するため、建築ブームが到来していた。都会化を図るマフィアがこの機を逃すはずはない。田舎からのし上がってきたマフィアたちも、これまでに作り上げたキリスト教民主党との癒着を活用して公共事業に参入していく。
対象が変わっても彼らの武器は変わらない。暴力に屈したライバルの事業者たちは沈黙した。
1964年の内務省による調査は公共事業の腐敗と富の集中を明らかにしている。1957~1963年に交付された4025件の建築許可のうち80%を、わずか5人が独占していたのであった。
5人のうち1人は、マフィアとの黒い噂が絶えないヴィート・チャンチミーノ(Vito Ciancimino)との強力な繋がりを持っていた。当時チャンチミーノは公共事業担当評議員を務めており、ここにマフィアと有力者の見事な癒着を見ることができる。
さらにパレルモ市長サルボ・リーマでさえもマフィアと繋がり、支援をしていた。
余談ではあるが、サルボ・リーマは後の大裁判(1986~1987年)でマフィアを勝たせることが出来ず、「契約不履行」の罰として暗殺されてしまう。
パレルモの町には特有の美しさがあったという。古くはフェニキア人、ギリシャ人、ローマ人、アラブ人、フランス人、スペイン人、イタリア人から次々に侵略・支配され続けた町は多様な文化の美を取り入れ、特異的な景観を築き上げてきた。
腐敗した事業はこれら古い建築物を破壊し、緑地をコンクリートで埋め尽くし、安易な認可で作られたマンションは建築基準を満たさない物が多かった。チャンチミーノは一晩で2500件の違法建築を許可したとも言われており、さらにマンションの基礎にはライバルの事業者の死体が埋まっているとの噂もある。
違法建築の乱立は、後に「パレルモの破壊」と呼ばれた。
1977年:最高幹部会トップの交代
パレルモのマフィアを束ねる最高幹部会。そのトップに君臨していたガエターノ・バダラメンティが突如降ろされ、マフィアの世界から追放された。
理由は定かではない。一説にはパレルモにいる多くのマフィアファミリーが困窮している中、バダラメンティだけが麻薬取引で利益を貪っていたからともいわれている。
ただし唯一確信できるのは、サルバトーレ・リイナ(Salvatore Riina)が裏で手を引いていたということである。
リイナはルチアーノ・リッジョに雇われていた殺し屋で、1974年にリッジョが収監されて以来、リッジョから権威を預かっていた人物である。しかし野心的なリイナはリッジョの解放を手助けするどころか、彼の居場所を奪っていき自らの支配力を強めていった。バダラメンティの追放も、将来自分がトップの座に就くために仕組んだとの見方が有力だ。
最高幹部会のトップには新たにミケーレ・グレコ(Michele Greco)が就任した。彼は「法王」と呼ばれていたが、影の薄い人物と伝えられている。しかし後のマフィア抗争では有能な部下を使って多くの殺しに関与し、抗争についての当局の報告書に「ミケーレ・グレコ+161人」と記されている程度には影響力を持つことが分かっている。
グレコは先代のグレコ一族(彼らもまたマフィアであった)からの遺産を受け継ぎつつも、先代とは違い、リイナ率いるコルレオーネ・ファミリーと親密になるアプローチをとった。(これもリイナの筋書き通りだったのかもしれない)
屈辱の丘
ミケーレ・グレコはパレルモの水供給の大部分を牛耳っていた(もっとも、パレルモ周辺のマフィアは大抵そうであったとも言われている)。彼は政府の補助金を使って井戸を掘り、その水を市の水道局に売って大金を得ていた。
夏の水不足の時には水を法外な値段で売りつけていたが、そもそも水不足はグレコと市役所内の仲間によって引き起こされていたものだった。
さらにグレコは自らの権威を示すため、違法建築にも手を染めている。
パレルモ湾の岬、ピッツォセッラの丘には314もの違法建築物が建てられた。当局がこれに気づき調査に乗り出した時には、既に半分は完成しもう半分は未完成の状態で放置されていた。当局はこれらを没収したものの、取り壊しには至っていない。
画像引用:pxfuel
骨組みだけが残された建物は野生動物の巣となり、パレルモの町を見下ろす。その光景はさながらホラー映画のようである。
「屈辱の丘」とよばれるこの廃墟群は、公共事業とマフィアの癒着のシンボルとして、そしてパレルモが受けた屈辱の印として残されるのかもしれない。
あとがき
本文からは、マフィアが社会のありとあらゆる場所に浸透してシチリアを裏から操っていたという印象を受けるかと思います。
「我々は神のように、常に諸君らを見つめている」とはマフィアによる言葉です。
マフィアの影響力については、研究家や著者によって表現がいくらか異なっていますが、もちろん全てを操れた訳ではありません。
例えば選挙の操作はマフィアにとって自らの息のかかった人物を政治に送り込むために重要視なものでした。しかし脅し、暴力をもってしても彼らが操作できた票は大した数ではなかったとも言われています。
公共事業への浸透は財力と権力がなしえることでもあります。麻薬取引を始めた頃のイタリア・マフィアは非常に景気が良く、絶えず懐に入る金をどこに投機すべきかが大きな関心事でした。
莫大な財力と、シチリアの人口増加問題という好条件が揃ったことで、よりスムーズな権力の掌握が可能になった一面もあるでしょう。
参考文献
タイム・ライフ著 平野勇夫訳(1994)『マフィアの興亡』同朋社
サルヴァトーレ・ルーポ著 北村暁夫訳(1997)『マフィアの歴史』白水社
アレキサンダー・スティル著 松浦秀明訳(1999)『シチリア・マフィア 華麗なる殺人』毎日新聞社
シルヴィオ・ピエルサンティ著 朝田今日子訳(2007)『イタリア・マフィア』筑摩書房
https://it.wikipedia.org/wiki/Gaetano_Badalamenti