レンブラント・ファン・レイン『ガリラヤ海の嵐』(1633)の一部。
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館から盗まれて未だ行方不明。
FBIは2005年に「10大美術犯罪」を公開しました。この記事はそれに若干の解説を加えたものです。
FBIはその紹介ページの中で情報提供を呼び掛けています。1つを除いた9つの事件は、まだ未解決だからです。
FBIのサイト(最下部に10大美術犯罪の項目があります。)
https://www.fbi.gov/investigate/violent-crime/art-theft
- 1.イラクからの略奪品
- 2.イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の強盗
- 3.カラヴァッジョ『キリスト降誕』の盗難
- 4.ストラディバリウス『ダビドフ・モリーニ』の盗難
- 5.ゴッホ美術館の盗難(返還済み)
- 6.セザンヌ『オーヴェル・シュル・オワーズの眺め』の盗難
- 7.ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーの壁画盗難
- 8.シャカラ・ド・セウ美術館の盗難
- 9.ニューサウスウェールズ美術館の盗難
- 10.ルノワールの油絵の盗難
1.イラクからの略奪品
閃緑岩の像(BC2400)。2006年にイラク政府関係者に返還された。 画像引用:FBI
イラクでは頻繁に遺跡の略奪が行われているが、FBIのリストでは特に2003年に起きた大規模略奪のことを指している。
2003年3~4月のアメリカによるイラク侵攻の直前、博物館や多くの遺跡から職員、学者、管理人が非難する事態となった。その後アメリカ軍が到着するまでの1週間程度の期間、無防備な古代遺跡やイラク国立博物館はならず者たちに襲われてしまった。
失われた古代遺物は約15,000点。現在も7,000〜10,000点が行方不明のままである。
中にはかなり有名な遺物も含まれており、一部のアイテムは既に買い手が見つかった状態で奪われた可能性もある(本来有名すぎるアイテムは、「盗品と知らずに買った」という嘘がまかりとおらないため、闇市場で売れないリスクが伴う)。とはいえ本物を無視して複製を持ち帰るようなケースもみられており、しろうとの実行犯が手あたり次第に遺物を回収しただけの可能性も否定できない。
国際博物館会議のレッドリストには、古代メソポタミアの黄金の鉢、イラクからの円筒印章などが含まれている。
FBIにより返還された円筒印章。円柱状の石に掘り込みがあり、粘土でその模様を確認できる。 画像引用:FBI
遺跡からの盗掘は今もイラクが抱える問題の1つであり、首相顧問Hosham Dawood氏によると「これらの遺物はクリスティーズやその他の場所に出品され、ドバイやベイルート、アジアを経由していく」という。
2.イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の強盗
美術犯罪で最も有名と言っても過言ではない事件。ここに筆者の文体で書くのがためらわれるほど、書籍にもネットにも情報があふれている。
とはいえご覧いただいている方々のために、この事件の特異さをまとめたいと思う。
1990年3月18日の未明、ボストン警察に扮した強盗犯が美術館のインターホンを押した。
「近所で騒乱があったので館内の点検をしたい」
夜警をしていた大学生は、相手が誰であれ扉を開けてはならないという命令に背き、偽警官を招き入れてしまった。突如豹変した偽警官によって警備員は拘束された。
犯人たちが館内に居た時間は81分。美術館強盗においては類を見ないほどに時間をかけて犯人たちは美術品を漁ったことになる。
盗まれた絵や古美術品は合計13点。
フェルメール『合奏』──この盗難で最も価値の高い品。
フリンク『オベリスクのある風景』
マネ『トルトリ亭にて』
ドガ『パドックからの退場』『三人の騎手』『芸術的な夜会のプログラム 1』『芸術的な夜会のプログラム 2』『フローレンス近郊の行列』
中国殷時代の青銅器、ナポレオンの旗竿の装飾
被害推定額は約5億ドルと見積もられた。
ヨハネス・フェルメール『合奏』(1664)
犯人たちの行動は館内のモーションセンサーによって記録されており、どんなルートで移動したのか、記録が詳細に残っている。
犯人たちの行動には3つの不可解な点があった。
①より貴重な絵が残されている
美術館には値がつけられないほどの価値があるボッティチェリやラファエロの作品もあった。この2つは犯人の動線上にあったが盗まれていない。そしてガードナー美術館の目玉でもあるティツィアーノの作品も残されたままだった。ドガの作品も、手の届くところに会った他のものではなく、わざわざキャビネットに入ったマイナーな作品を盗んている。
②比較的価値の低い2点の古美術品
盗難品のリストで異彩を放っているのが、中国殷時代の青銅器とナポレオンの旗竿の装飾である。この2つは絵に比べて特別に高価なものでもなく、盗んだ意図が読めない。
③1階から盗まれた1点の絵
犯人たちが盗んだものはほとんどが2階にあった。しかし1点だけ、マネの『トルトリ亭にて』だけは1階にあったものだ。しかも奇妙なことに、盗難のあった時間帯に1階のモーションセンサーは何も検知していなかった。つまり『トルトリ亭にて』が盗まれたのは、警備員が拘束される前ということになる。このことから内部犯行の説も浮上していた。
事件から30年以上たった現在、盗難品も犯人も見つかっていない。
館の主、イザベラ・スチュワート・ガードナー夫人は遺言に「ギャラリー内のすべてのものは永久に変えてはならない」と残した。遺言に従って、絵があった場所には空の額縁が残されている。
3.カラヴァッジョ『キリスト降誕』の盗難
イタリアのパレルモにある教会から盗まれた『キリスト降誕』の価値は約30億。シチリア・マフィアの1人は絵を燃やしたと言った。またある1人はボスの家に飾られていたと言った。ある美術専門家は大地震の際に破壊されたとも考えている。
『キリスト降誕』が盗まれたのは1969年。ここから30年ほどその間、シチリア・マフィアは血で血を洗う抗争、政治家や検事の暗殺に明け暮れることになる。マフィア絡みの情報が多数上がるのは無理もないが、どの程度信用すべきなのか慎重にならざるを得ない。
というのも、マフィアによる証言は善意の証言とはかぎらないからだ。
元構成員が警察に情報提供をする時、大抵は自分の減刑と敵対組織への復讐が動機となる。もちろん警察に対して、自分を尊大に見せようという心理も働く。まして絵の盗難については自分が本来問われている罪となんら関係のない話であって、適当な嘘を言ったところで厳しい追及があるわけでもない。
実際に元マフィア構成員の1人は、最初は自分が実行犯だと語っておきながら後に嘘だと白状した。
カラヴァッジョ『キリスト降誕』(1609)
それなりに信憑性があるのは、絵が飾られていた教会の神父による証言だろう。
事件後、神父はマフィアから2度手紙を受け取っていた。1通目には取引に合意するつもりがあるかを訪ねる文章があり、そして2通目には絵の額縁の一部が切り取られて同封されていた。
この「被害者の体の一部」が意味するのは、マフィアが本物を所有していることの証明であると同時に、気分次第で燃やすこともできるという脅しでもあった。
シチリア文化局は取引に応じなかった。それからは再び、不確かで断片的な情報が流れては消え、現在は沈黙が続いている。
4.ストラディバリウス『ダビドフ・モリーニ』の盗難
18世紀イタリアで数々の楽器を制作したアントニオ・ストラディバリ。その中の1つダビトフ・ストラディバリは1727年(諸説あり)に作られ、19世紀のロシアの所有者ダビトフにちなんで名づけられた。
ダビトフ・ストラディバリは「おそらく史上最高の女性ヴァイオリニスト」と評された、エリカ・モリーニの手に渡った。モリーニはこのヴァイオリンを使った演奏で名声を得、91歳で息を引き取るまで共に過ごした。
晩年、自宅で闘病生活を送っていたモリーニは、しきりにヴァイオリンの所在を尋ねたという。
「ほら、まだそこあるわよ」
モリーニの周りの誰かが、クローゼットを指差して答えた。
誰も本当のことを言えないままだった。ストラディバリが既に盗まれており、クローゼットにあるのはまがい物である事を。
モリーニが亡くなる1か月前の1995年10月18日に、ダビトフ・ストラディバリの盗難が知人によって発覚した。犯人はモリーニの住むアパートの鍵を開け、ストラディバリがあるクローゼットの鍵も開けて、代わりに偽物のケースを置いていった。
300万ドルの価値があるといわれるこのストラディバリの行方はまだわかっていない。わかっているのは、モリーニが病に伏した頃になって彼女の元に人々が集まりだしたこと、モリーニがだんだんと物忘れが激しく疑い深くなっていったこと、部屋を荒らすことも鍵を壊すこともなくクローゼットを開けられた人物が犯人ということである。
5.ゴッホ美術館の盗難(返還済み)
この事件は犯人も逮捕され絵も戻ってきているが、なぜかリストに残り続けている。絵画泥棒と裏社会の繋がりを示すモデルケースとしてとても分かりやすいので、残っていた方が良いのかもしれない。
オランダではゴッホ泥棒が数件起きており、この事件はその1つである。しかし登場人物の華やかさでは他の事件とは一線を画している。
2002年12月7日、アムステルダムで有名なゴッホ美術館から2つの絵、『ヌエネンのカルバン派教会を後にする群衆』、『スヘフェーニンゲンの海の眺め』が盗まれた。犯人は泥棒王として悪名をはせたオクターブ・ダーラムとヘンク・ビースリン。
フィンセント・ファン・ゴッホ『スヘフェーニンゲンの海の眺め』(1882)
オクターブ・ダーラムが幼少期を過ごした場所は、子供は皆犯罪へ走るような地域だったという。彼も例に漏れず犯罪を繰り返し、25歳の時には銀行強盗を成功させている。もっとも、彼自身によれば「人を傷つけたことは1度もない」という。
ダーラムはゴッホを盗んだ理由として、少年の時に見たゴッホ泥棒のニュースが印象的だったからと述べている。
しかし絵を盗んだ2人は多くの絵画泥棒と同じ壁にぶち当たった。絵に買い手がつかないのである。誰に依頼されたわけでもない楽天的な犯行は、絵の処理を困難にする。有名すぎる絵を、それも泥棒が本物だと主張する絵を買う人間はなかなかいない。
一応、2人の買い手が見つかったのだが、その2人は取引成立前に何者かによって殺されてしまった。最終的に絵を買ったのは、イタリアのナポリを拠点とする犯罪組織カモッラのボス、ラファエレ・インペリアーレだった。
インペリアーレは派手な生活を好んでいた。高身長でオーダーメイドのスーツを身にまとい、最高級のジュエリーを身につけた。希少モデルの車を乗り回し、レストランでは仲間全員分の料金を支払うような男だった。彼は多くのならず者、女、高級店に愛されていた。
インペリアーレはスケールの大きい犯罪に手を出した。彼の事業は麻薬取引、それもヨーロッパの1/3に麻薬を供給するスーパー麻薬カルテルの運営である。仲間にはアイルランドの悪名高いギャング、ダニエル・キナハン、オランダ・マフィアのボス、リドゥアン・タギなどそうそうたる人物が名を連ねる。
そんな輝かしいインペリアーレの犯罪生活を警察が放置する理由はなく、2014年、彼はドバイで逮捕された。しかしイタリアへの引き渡しを行うことができず釈放に至る。インペリアーレは変わらずドバイのホテルでの生活を続けた。
2016年にはさらなるカモッラへの捜査があり、インペリアーレは新たな罪に問われることになった。そこで彼が切ったカードが、盗まれたゴッホの有りかを教えるかわりに罪を軽くせよという交渉だった。
ゴッホの2枚の絵はナポリにあるインペリアーレの家で見つかった。14年ぶりに表の世界に現れた絵は、額が外され軽度の損傷があるものの、おおむね状態は良好であったという。
なお実行犯のダーラムは2003年に逃亡先のスペインで逮捕されている。彼はうっかり現場に野球帽を残してしまい、DNAを特定されていた。
インペリアーレも2021年にドバイのホテルで逮捕され、イタリアへ引き渡された。当時、イタリア、インターポール、アラブ首長国連邦では、アラブ首長国連邦にいる逃亡者の身柄引き渡しについての議論がなされていた。この逮捕劇は、それが合意に達したということを示していた。
6.セザンヌ『オーヴェル・シュル・オワーズの眺め』の盗難
400万ドルの価値を持つセザンヌの『オーヴェル・シュル・オワーズの眺め』は、極めて印象的で洗練された犯行によって消えた。
1999年12月31日、ミレニアム祝賀に浮かれていたオックスフォードの夜空を花火が彩っている最中、犯人たちはアシュモレアン博物館の天窓を割って室内に侵入した。
天窓から発煙筒を投げ込み、監視カメラの視界を奪った犯人たちはロープのはしごで室内に降り立った。小型扇風機で視野を確保し、鋭いメスでセザンヌの絵を額から切り取ると再びはしごを登って人混みの中へ消えていった。所要時間は10分未満。明らかに計画的で秩序立った犯行である。
警報を聞いた警備員は立ち込める煙を見て火事だと思い、警察と消防を呼んだ。ここまでも犯人たちの計画通りだったのだろうか。
現場に到着した警察と消防が煙の消えた部屋で見たのは、異常を知らせる警報機と、セザンヌが飾られていたはずの壁だった。
博物館の館長は、休日だからといって警備を緩めていたわけではなかったと言う。警察も事件発覚後、空港や港の職員に絵の流出を防ぐために警告をした。それでもセザンヌの絵は見つからなかった。
ポール・セザンヌ『オーヴェル・シュル・オワーズの眺め』(1879-80)
セザンヌの絵があった部屋にはルノワール、ロダン、ロートレックといった貴重な作品も飾られていた。しかし犯人はセザンヌ1点に狙いを絞っていたとみられる。
自然と犯人像が構築されていく。「イギリス国内にいるセザンヌを欲する何者かと、それに依頼された実行犯」という図式が警察を含めた人々の頭に浮かんだ。
7.ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーの壁画盗難
ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーは1875年に生まれた彫刻家かつ美術後援者である。ホイットニーは生前、ロングアイランドの彼女の邸宅のために画家のマックスフィールド・パリッシュに7枚の絵を依頼した。
パリッシュは1900年代初頭のアメリカで最も人気のあるアーティスト、イラストレーターの一人である。信憑性は定かではないが、ある統計によると1920年代にはアメリカの5軒に1軒の割合でパリッシュの絵が飾られていたという。
ホイットニーの死後、7枚の絵は遺品として売り出された。絵を購入したのはJ・P・ブライアンという美術品収集家だった。
ブライアンはパリッシュのファンであり、パリッシュの歴史に貢献したいと考えていた。ただし入手した絵は自分のコレクションに馴染まないと感じ、修復した後に再び売りに出すつもりだったらしい。
マックスフィールド・パリッシュ作(1916年)。左は『panel3A』、右は『panel3B』と呼ばれる。
事件はブライアンが展示を委託したロサンゼルスのイーデンハースト・ギャラリーで起こった。
2002年7月27日の深夜、7枚のうち2枚の絵が何者かによって盗まれた。犯人は天井から侵入し、額から絵を取り外して持ち去ったとみられる。絵の価値は2枚合わせて400万ドルと推定されている。
この事件には不可解な点がある。絵は壁画として作られたためか、1.6m×1.9mとかなり大きい。運搬にはおそらくトラックが必要だったことだろう。そしてこの大きな絵に、ちゃんと買い手がつくのだろうか?そしてなぜ、犯人は2枚だけ持ち去ったのか?他の作品は傷付けられることもなく無事だったのだ。
当局はこの事件を「不穏」で「奇妙」とも述べている。
絵画の盗難は、時に偏執的な欲望によって行われる。盗まれた2つは構図が似ていてほとんどペアのようなものだ。何者かの琴線に触れたことが、絵の運命を決定づけてしまったのだろうか。
8.シャカラ・ド・セウ美術館の盗難
2006年2月24日、リオデジャネイロのシャカラ・ド・セウ美術館から4点の絵が持ち去られた。4人の武装した犯人たちは手榴弾をちらつかせながら来館者と職員を人質に取り、5分で警備員を制圧したと言われている。
絵を守っていたのはナイロンの糸と監視カメラだけだった。カメラは脅した警備員に止めさせた。あとは簡単な仕事だったことだろう。
事件のあった日はカーニバルが行われており、屋外には踊る人やパーティに興じる人でごった返していた。そして警官も周辺に集まっていた。見方によっては犯人が行方をくらましやすい状況だったとも言えるが、かえって警察や人だかりに阻まれる可能性もあった。そのため意図的にカーニバルの日を選んだかどうかは不明である。
持ちされられた絵はダリの『2つのバルコニー』、マティスの『リュクサンブールガーデン』、ピカソの『ダンス』、モネの『マリン』。FBIは価値は推定されていないとしているが、合計額は推定5000万ドルとも言われている。
サルバドール・ダリ『2つのバルコニー』(1929)(左上)、アンリ・マティス『リュクサンブールガーデン』(1905)(右上)、パブロ・ピカソ『ダンス』(1956)(左下)、クロード・モネ『マリン』(1880-90)(右下)
警察が絵と犯人の行方を追ったが、捜査は早々に打ち切られてしまった。証拠が残っていない上、リオデジャネイロ近郊で絵を保護する額(パスパルトゥー?)が燃やされているのが見つかり、絵も燃やされたとみなされたからである。
美術館の館長は、この事件はおそらく国際的なギャングによって計画されたものだと述べている。
9.ニューサウスウェールズ美術館の盗難
オーストラリアで起きたこの事件も、警察は早々に捜査を打ち切ってしまった。証拠の少なさゆえか、または美術品の捜査に回すコストを惜しんでのことか。
盗まれた絵はファン・ミーリスの『騎手(自画像)』という、木枠を含めて30.7cm× 26.7cmの小さな絵。推定価値は100万ドル以上。2007年6月10日、ニューサウスウェールズ美術館の開館中の出来事だった。
フランス・ファン・ミーリス『騎手(自画像)』(1657年)
盗まれた絵が展示されていた部屋には監視カメラがなく、配置された1人の警備員も常にいるわけではなかった。そして小さな絵はコートの中に滑り込ませることもできてしまう。なお美術館は人手不足を州政府に訴えていたという。
絵が盗まれた時にたびたび起こる事ではあるが、ある事情によって捜査の開始は3日も後になって始まった。事件から2日間、スタッフは盗難に気づけなかったのだ。絵が無いことに気づいたスタッフは、倉庫や他のギャラリーに置き忘れたのではないかと思い、結局警察への通報はさらに1日遅れた。
事件当初、警察は内部の犯行を疑っていた。しかし事件のあらゆる側面を調査した後、捜査を半年も待たずに打ち切ってしまった。
4年後の2012年、なぜか政府から再び調査が依頼された。政府の見解では、絵はおそらくまだオーストラリアのどこかにあるという。
ジェームズ・クック大学の犯罪研究者は次のように述べている。
「事件への関心が続いているため、世間の注目度はある程度維持されている。 しかし、その関心はオーストラリアからではなく、むしろアメリカからもたらされているものだ。」
10.ルノワールの油絵の盗難
印象派の巨匠ルノワールの『髪に花を挿して肘をつくマドレーヌ』は、手荒な強盗によって奪われた。
2011年9月8日、テキサス州ヒューストンの高級住宅にて。裏口から侵入してきたのはスキーマスクをかぶり、大口径のセミオート拳銃で武装した強盗だった。物音に気付き、階下に降りた家人は強盗と対面し、銃口を向けられた。
強盗は金と宝石を要求し、その後壁にかかっているルノワールの絵を指差した。
2階では家人の息子が眠っている。家人は要求をのみ、絵を渡すことにした。強盗は推定100万ドルの絵を額ごと持ち去ったという。
ピエール・オーギュスト・ルノワール『髪に花を挿して肘をつくマドレーヌ』(1918年)
盗んだルノワールを売ることはできまい、というのが専門家や美術界の共通の見解である。
「ルノワールの絵だ。一目でわかる。その絵を所有している人物は、簡単に特定されるだろう」
犯罪防止センター事務局長のキャサリンはこう言った。
この絵の情報は、盗難の美術品について注意を促すオンラインツールやFBIのNational Stolen Art File、Art Loss Register、INTERPOLのWorks of Artデータベースなどに登録されている。買い手が少し調べれば、盗品だとすぐにわかるはずだ。
美術品窃盗の専門家たちは好んで皮肉を口にした。
ヒューストンのルノアールを盗んだ犯人は「絵を盗んだのではなく、問題を盗んだのだ。」
あとがき
記事を書き始める前から疑問だったのは、これらの事件が10大美術犯罪に選ばれた理由でした。なにかしらの基準があるのでしょうが、明確に示されている訳ではないようです。
事件について調べていく中で気付いた点はいくつかあります。せっかくなので私なりに仮説を立ててみました。
①ショッキングな事件である
2.イザベラ・スチュアート・ガードナー事件は特にそうなのですが、「大量に絵が盗まれる」、「犯人への手がかりが極端に少ない」、「有名な絵が被害にあっている」といった特徴を満たす事件が選ばれているように思えます。10.ルノワールの盗難もアーティストの知名度で選ばれたのではないかと考えます(ルノワールの事件は発生翌日にラインナップに加えられました)。
②捜査が行き詰っている
当たり前かもしれませんが、順調に捜査が進んでいる事件であればわざわざ目立たせる必要はありません。むしろ秘密裡に事を運ばなければいけないくらいです。
10大美術犯罪の中には、盗難後の絵の行方がほとんど追えていない(少なくとも公表していない)ものや、破壊・焼失が疑われるものも含まれています。3.カラヴァッジョ事件と8.シャカラ・ド・セウ事件は共に、絵が無事である期待が薄い事件と言えます。藁にもすがる思いで、情報提供を待っているのかもしれません。そしてあわよくばFBIの名声を上げる目的もあるのだと思います。
③世界の美術犯罪の現状を反映している?
FBIの性質上、アメリカ国内の事件が多くなるのは仕方のない事だと思います。ただラインナップを見ると中東・ヨーロッパ・オセアニア(オーストラリア)、南米とかなり広域をカバーしています。残念ながら(?)日本は無いですね。
アフリカ大陸は盗難よりも植民地時代の略奪品が問題となっています。アジアはサブハッシュ・カプールに代表される悪徳ディーラーによる盗掘品が主な美術犯罪になるのでしょうが、カプールの秘密結社に捜査のメスが入ったことで積極的に盗掘品の返還が進んでいます。捜査は順調ということで選ばれなかったのかもしれません。
FBIによる10大美術犯罪は未解決事件のごく一部です。無数の絵や美術品、古代遺物が盗まれたまま、表の世界に出られずにいます。
もし解決済みの5.ゴッホ事件が外されるとしたら、次はどの事件が入るのでしょうか。残念ながら候補はいくらでもあるのが現状です。
参考文献
1.イラクからの略奪品
https://en.wikipedia.org/wiki/Archaeological_looting_in_Iraq
https://www.worldhistory.org/image/10396/headless-statue-of-entemena-of-lagash/
https://thearabweekly.com/iraqs-archaeological-sites-face-looting-urbanisation-threats
2.イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の強盗
ロバート・K・ウィットマン、ジョン・シフマン著 土屋晃、匝瑳玲子訳(2011)『FBI美術捜査官』柏書房
サンディ・ネアン著 中山ゆかり訳(2013)『美術品はなぜ盗まれるのか』白水社
青い日記帳監修 (2019)『失われたアートの謎を解く』ちくま新書
https://theviolinchannel.com/erika-morini-born-on-this-day-stolen-stradivarius-fbi-art-crime-list/
https://tarisio.com/cozio-archive/property/?ID=40119
https://www.keystoneunderwriting.com.au/articles/10-davidoff-morini-stradivarius-violin/
5.ゴッホ美術館の盗難(返還済み)
https://www.nytimes.com/2020/05/27/arts/design/van-gogh-stolen.html
https://www.c41magazine.com/nul-twintig-amsterdam-octave-durham-profile/
https://news.artnet.com/art-world/raffaele-imperiale-can-gogh-2001631
https://www.interpol.int/en/News-and-Events/News/2021/Dubai-Police-arrest-two-of-Italy-s-most-wanted
https://www.afpbb.com/articles/-/3102817
6.セザンヌ『オーヴェル・シュル・オワーズの眺め』の盗難
https://en.wikipedia.org/wiki/View_of_Auvers-sur-Oise
https://www.theguardian.com/uk/2000/jan/03/johnezard
https://pricelessblog.squarespace.com/blog/czannes-view-of-auvers-sur-oise-theft
https://www.keystoneunderwriting.com.au/articles/8-view-of-auvers-sur-oise-by-paul-cezanne/
7.ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーの壁画盗難
https://earth-and-space-news.blogspot.com/2017/07/gertrude-vanderbilt-whitney-murals-art.html
https://earth-and-space-news.blogspot.com/2017/07/gertrude-vanderbilt-whitney-murals-art_28.html
https://www.latimes.com/archives/la-xpm-2002-aug-03-et-reynolds3-story.html
8.シャカラ・ド・セウ美術館の盗難
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/4754264.stm
https://www.journiest.com/stolen-paintings-2645592447.html?rebelltitem=4
https://www.dailyartmagazine.com/stolen-artworks-from-chacara-do-ceu-museum/
9.ニューサウスウェールズ美術館の盗難
https://www.keystoneunderwriting.com.au/articles/9-a-cavalier-self-portrait-by-frans-van-mieris/
https://www.taiwannews.com.tw/en/news/468586
10.ルノワールの油絵の盗難
https://www.houstonpress.com/arts/jokes-probably-on-you-houston-renoir-thief-6369221
https://abc7news.com/archive/8362915/
https://art-crime.blogspot.com/2011/09/art-loss-register-theft-alert-renoir.html
https://art-crime.blogspot.com/2012/09/private-insurer-offers-up-to-50000.html