サン・ロレンツォ教会に飾られる『キリスト降誕』(レプリカ)。 引用:via ilgeniodipalermo.com
本記事は1969年にイタリアのシチリア島で盗まれた、カラヴァッジョの『キリスト降誕』について書いています。この事件は発生から50年経った現在でも未解決で、FBIの美術犯罪トップ10の1つです。
多くの改心した(警察に協力し始めた)マフィアによる目撃証言が存在し、闇社会で行われたであろう取引のヒントが示されています。ただしマフィアの証言は真正が担保されているものではなく、時に意図的な嘘を含みます。
1980年代に大規模な抗争に突入したマフィア、コーザノストラの混乱とともに情報が錯綜したカラヴァッジョの絵の情報について可能な限り整理してみました。
兆候と失踪
1969年、シチリア島パレルモにあるサン・ロレンツォ教会には不穏な空気が漂っていた。
教会に住んでいたある女性は、怪しい人物から「カラヴァッジョの絵を見たいので中に入れてくれないか」と話しかけられた。女性はこの人物が窃盗犯だったのではないかと後に思い返すことになる。
女性は絵が飾ってある部屋の窓を強固にするよう教皇庁に訴えかけたが、その必要はないと退けられた。
同じく教会に従事するベネディット・ロッコ神父は事件の数か月前にイタリア放送協会からアポイントメントを受けた。『忘れられた名画』というテーマで、カラヴァッジョの絵についてインタビューしたいとの申し出だった。しかしロッコはこれを拒否する。無防備なこの絵が世間に知られれば確実に盗まれると思ったからだ。
しかし放送協会は別のつてで許可を得て、カラヴァッジョの絵について非常に価値のあるものとして放送してしまった。
雨の降る10月17日の夜、懸念は現実のものとなってしまった。鍵のかかっていない扉から侵入した男2人は、カラヴァッジョの『キリスト降誕』を額からカミソリで切り取り、丸めてカーペットで包み持ち去った。祭壇の上に飾ってあったこの絵は額縁を残して消えてしまった。
翌朝になって管理人が警察とカラビニエリ(軍警察)に通報したが、犯人の行方もカラヴァッジョの行方も皆目見当がつかず、パレルモには長い沈黙が訪れた。
27年後にようやく沈黙を破ったのは1人のマフィアであった。しかし彼の告白は教会関係者やパレルモの人々を絶望させることになる。
マフィアによる無情な証言
1996年11月、マリーノ・マンノーイア(Marino Mannoia)という元マフィアが裁判の中でカラヴァッジョについて触れた。彼はヘロイン精製に関わったマフィアの構成員である。彼の逮捕後、警察への情報提供を恐れたマフィアは彼の母、姉、叔母を殺害した。それにもかかわらず改心した人物だった。
彼によると、自らが窃盗実行犯の1人であり額から切り離したキャンバスを丸めて持ち出したという。犯行はひどく乱暴に行われ、絵は修復不可能なほど破損してしまった。個人の買い手に(元の持ち主という話もある)見せたものの、涙を流しながら受け取りを拒否された。
彼の話はここで終わる。
これまで絵は無事であると信じられていただけに、世間のショックは大きかった。しかしそれでも、絵の行方をマンノーイアに喋ってほしいとパレルモ市内の1000人以上の人々が情報提供を求める署名を行った。
しかし無情なことに、他のマフィアからも絵の破壊が証言される。
1999年、ガスパーレ・スパトゥッツァ(Gaspare Spatuzzo)は獄中で絵の悲惨な最期を語っている。その内容はスパトゥッツァがヒットマンとして仕えたボス、フィリッポ・グラビアーノ(Filippo Graviano)から伝えられたものだ。
「絵は安全のために農場の外壁に隠したが、ネズミや豚に食べられてしまった。最後に絵は燃やされた」
カラヴァッジョ作『キリスト降誕』 引用:Earl Art Gallery
価値のある絵をなぜ燃やしてしまうのか。その答えはブラックマーケット特有の論理にある。
通常、盗んだアイテムは表の世界よりもはるかに低い値段で売られる。盗品を鑑定にかけるわけにもいかず、常に本物という証明が困難であるのがその理由だ。ブラックマーケットは買い手からすれば「偽物」をつかまされる可能性が非常に高い世界でもある。
さらに盗品が有名であればあるほど、買い手を探すのが困難となる。盗品と知った上での所持は当然違法となるために「まさか盗まれたものだとは知らなかった」という言い訳が必要になるが、有名なアイテムではこの言い訳はとおらない。
首尾よく買い手が見つかったとしても、今度は輸送の壁が立ちはだかる。税関をクリアするために犯罪者たちは買収や偽装、独自のルート構築に日々勤しんでいる。
ブラックマーケットに流れた希少品に富裕層や犯罪者が群がるというのはフィクションの話でしかなく、現実は盗んだ者に常にきびしい。
よって30億近い価値の『キリスト降誕』であっても重荷となってしまい、焼却することもあり得る話ではある。
このカラヴァッジョ破壊説は、反マフィア犯罪ユニットの責任者ピエトロ・グラッソによって支持された。2012年のeosarte.eu(バックナンバーは閲覧できない状態)の記事によると、グラッソは記者会見で絵が豚小屋に入れられ、何年もかけてネズミや豚に食べられた可能性が高いと認めた。
法的機関の少なくとも一部門は(根拠はいっさい語られていないが)絵はもう戻らないと考えていた。The Malta Independent紙のジャーナリスト、ノエル・グリマもこのグラッソの会見について確認している。
当時のイタリア美術界は失意の中にあったのかもしれないが、それでも人々は希望を捨てなかった。
2015年にはローマに拠点を置く「美術犯罪研究協会」の最高責任者であるリンダ・アルバートソンが次のように述べている。
「豚のいる納屋にカラヴァッジョを置く人はいないでしょう。狂った人ならそうするかもしれませんが、この事件はもう少し組織的なものです」
「このような物を取り戻すのは難しいですが、30年、40年後に取り戻すことはよくあります」
FBIは事件解決を諦めず、美術犯罪トップ10からこの出来事を外さなかった。
イタリアのメディア事業者SKYは、「Operation Caravaggio - Mystery of the Lost Caravaggio」と題したドキュメンタリーの制作を開始しただけでなく、『キリストの降誕』のレプリカ作成を依頼した。依頼先はFactum Arte社という、ツタンカーメン王の墓の複製も行ったことで有名な企業である。
Factum Arte社のディレクターは、あくまでレプリカは本物が見つかるまでの繋ぎだと語った。
そしてレプリカの除幕式にはセルジオ・マッタレッラ首相が立ち会った。彼の兄はマフィアに殺害されている。おそらく強力なメッセージとなったことだろう。
証言の虚実、マフィアの抗争による混乱
絵の破壊を証言したマリーノ・マンノーイアは嘘をついていた。彼はカラヴァッジョ盗難の実行犯などではなかった。
あるカラビニエリの将校によると、同時期にパレルモ内で起きた他の作品の盗難に関わっていたのがマンノーイアであった。後にマンノーイア本人も嘘をついたと供述している。
そもそもマンノーイアが絵について語った裁判は、マフィアとの関係で告発された元首相ジュリオ・アンドレオッティ(Giulio Andreotti)に対するものであり、そこではマンノーイアは単なる証人の1人でしかなかった。絵の盗難事件について嘘をついたところで自分に大きな不利益がある訳でもない。
「あまりの質問の多さにストレスを感じていた」と彼は述べている。
雨の夜に『キリスト降誕』を盗んだのは地元の若者だった。彼らは事件の数週間前にテレビ番組の中でカラヴァッジョの絵を見ていた。その価値の高さに驚くと同時に、年配の管理人が守っているだけであることも思い出した。
泥棒のうち1人の弟はマフィアだった。彼はコーザノストラの縄張りで断りもなしに悪事を働いた仲間を守るために仲裁し、思いがけない報酬、『キリスト降誕』をコーザノストラに届けることもした。そして彼は数年後、絵の角がエレベーターのドアに挟まれて破れたことや、自分が寝ていた部屋の床にキャンバスが広げられていた時、みんながその上を歩いたことをを思い出したという。
盗まれた絵はボスからボスへと渡り、パレルモのポルタ・ヌォーヴァ地区のゲルランド・アルベルティ(Gerlando Alberti)に渡った。アルベルティは海水浴場の経営者を殺害した罪で1981年に逮捕され終身刑となっている。それまでの12年間、絵を売ろうと試みていたという。
アルベルティは逮捕される前、5キロのヘロイン、数百万ドルの現金、そして『キリスト降誕』を鉄製の箱に入れて埋めた。後年、甥のヴィンチェンツォ・ラ・ピアナ(Vincenzo La Piana)が警察に情報提供した時には箱はすっかりなくなっていた。
アルベルティは逮捕されて幸運だったのかもしれない。1980年代というのはコーザノストラの新勢力、コルレオーネ・ファミリーが力を付けて他のファミリーの「古参マフィア」たちを粛清し始めた時期でもあった。古参のアルベルティは塀の中で命拾いをしたという考え方もできる(もっとも、その気になれば刑務所内にいるターゲットを殺すこともできていたのが当時のマフィアであった)。
この抗争の中で、多くの絵の手がかりが失われたと考えられている。前の所持者と言われているロザリオ・リッコボーノ(Rosario Riccobono)は1982年に消息を絶った。アルベルティも報復を避けるために多くを語っていない可能性もある。警察への情報提供は、マンノーイアのように親族に危害が及ぶリスクを伴う。
はたしてカラヴァッジョの絵は生きているのだろうか?絵の生存を示す情報は断片的ではあるが他のマフィアからも得られている。しかし行方は誰一人として語ろうとしない。
サルバトーレ・カンチェーミ(Salvatore Cancemi)は、シチリアで最も有力なボスたちの会合に『キリストの降誕』が飾られていたと言う。
ジョヴァンニ・ブルスカ(Giovanni Brusca)は、この絵を国家との交渉に使ったと主張している。マフィアの囚人に課せられた厳しい41bis制度を緩和する代わりに絵を差し出したが、国は拒否したと語っている。
マフィアの供述は常に信頼できる訳ではないことは、マンノーイアの一件から明らかである。意図的な嘘だけでなく勘違いもあり得る。
何を信じればいいのか?物証に乏しい絵の捜索は難航を極めたが、2018年になってようやく信憑性の高い新情報が現れた。
忘れられていた当事者の声
もうじき事件から50年が経とうとしていた2018年、美術館協会がとあるインタビューの存在を知った。それは2001年に行われたドキュメンタリー映画のためのインタビューで、事件現場となったサン・ロレンツォ教会の神父ベネディット・ロッコ(Benedetto Rocco)による貴重な証言でもあった。ビデオテープはその重要性にもかかわらず、日の目を見ないまま長きにわたって封印されていたのだ。
映画監督は神父の語ったことはすでに警察が把握しているものだと思っていたらしい。ロッコ神父はマフィアとの生々しいやり取りについて詳細に語っていた。
「事件の後、私の家に1通の手紙が届きました。手紙には、取引をしたいのなら広告をGiornale di Sicilia(シチリアの日刊紙)に掲載してくれと書いてありました」
広告を掲載することは、教会がコーザノストラと交渉するために準備ができたことを意味する。ロッコはパレルモ文化局長に相談し、局長は広告を掲載することに決めた。
2週間後にマフィアから送られたのは2通目の手紙と、恐るべき脅しだった。
「手紙にはキャンバスの一部が添えられていました。彼らはカラヴァッジョを所有していることを証明したのです。」
インタビューを行った映画監督は次のように述べている。
「マフィアは、誘拐で被害者にやるようなことをカラヴァッジョの絵にもしていたんだ。彼らは被害者の指や耳を送る。同じようにキャンバスの一部を送ってきたんだ」
この手紙には2回目の広告掲載の要求があったが、文化局長は断った。
かわりに文化局長はロッコ自身が窃盗団を結成した疑いがあると警察に通報し、ロッコは一時的に捜査を受けることとなってしまった。
「指紋も取られてしまいました。後日、局長は誤りにきましたよ。彼は間違いを犯したことを認めました。でも、ダメージは大きかった」
ロッコの証言はこれにとどまらない。
事件後の1970年はじめ、他の神父から電話があった。盗まれたカラヴァッジョを見たというのだ。
「彼は所有していた絵を盗まれてしまった。地元のマフィアの犯行だと確信した彼は、数人のマフィアと接触したらしい。その後、若者たちがやってきて2つの写真を見せた。1つは彼の絵、もう1つは『キリストの降誕』だったという。その時彼は、彼の失われた絵―無名の画家の作品―を指差し、若者たちはそれを返したという」
ロッコは情報を警察に提供したが、何も動きがなかった。
「(警察は)何年も前から絵の場所を知っていたのです。絵はパレルモにあった。マフィアは権力を示すためにそれを利用したのです」
ロッコによるこれらの証言は、絵がマフィアの手に渡ったことと、少なくともすぐに処分されてはいないことを示していた。しかも彼は当時シチリア島で最も力のあるマフィアのボス、ガエターノ・バダラメンティ(Gaetano Badalamenti)の家に絵があるという具体的な情報も語っていた。
ロッコは同じ教会で働いていた女性にも同じことを話していた。この女性とロッコは、記事冒頭で触れたように教会が狙われている兆候を感じた人物である。女性は警備の強化を訴え、ロッコは無防備なカラヴァッジョの絵についてテレビで触れるのはやめてほしいと主張していた。
この女性は事件後に何十回と取り調べを受けているが、そのファイルは消えてしまったと警察は言う。本記事で取りあげているこの女性の供述は、すべて女性の娘から最近になって明かされたことである。
貴重な情報は、事件の直後から当事者によって発信されていたのだった。
ロッコ神父も女性も、すでに故人である。もう当事者の声を聞くことはできない。
最後の供述
ロッコ神父のインタビューが発見された2018年、マフィアによる新たな供述が報道された。これが現在得られている最後の情報である。
情報提供者はガエターノ・グラド(Gaetano Grado)。彼は絵の入手から最終的な所持者までの重要な情報を語った。
グラドはボスであるガエターノ・バダラメンティの依頼で、『キリスト降誕』窃盗犯の行方を追っていたという。犯人に現金を渡して手に入れた絵はバダラメンティに渡った。そして1970年の時点でバダラメンティはスイスの美術商と取引をしていたというのがグラドの供述だ。
グラドの供述はロッコ神父が語った内容と一致していた。絵はパレルモの大ボスの家にあったのだ。
ただしここから先は多少あいまいな情報となる。
スイスの美術商はマフィアのために絵を4分割にして換金したとか、バダラメンティが死んでからスイスに移されたというエピソードが報じられている。
いずれにしても絵は現在スイスにある可能性が高い、というのがイタリア警察の見立てとなっているようだ。イタリアの反マフィア協会の責任者であるロージー・ビンディは、「我々は、海外の警察、特にスイス当局に協力を要請するのに十分な証拠をそろえた。絵を見つけてパレルモに戻したい」と述べている。
あとがき
盗まれた絵は物的証拠をほとんど残さないままマフィア達や闇商人の間を流れていったというのが本事件の要約となります。
金の流れを追うこともできず、マフィア内部からの告発も一部に信用ならないものがあります。仮に絵が見つかったとしても大部分は謎のままでしょう。
実は本記事ではあえて使わなかった情報がいくつかあります。情報元が不確かで、かつ根本的な矛盾を引き起こしかねないものです。ここでそのうち重要な情報に触れてみます。
1.実行犯の絵の扱い
実行犯は地元の若者と言われていますが、切り取られたキャンバスの痕は犯行がプロフェッショナルによるものという説があります。パレルモ文化協会の会長は、「絵の具を1ミリも残さずに絵を切り取ったのは外科的な正確さである」と述べています。
もちろん若者たちが美術品窃盗のプロ集団だった可能性は否定できませんが、だとしたら実行犯の次の供述、「絵の角がエレベーターのドアに挟まれて破れたことや、寝ていた部屋の床にキャンバスが広げられていた時、みんながその上を歩いたこと」は釈明しようがありません。
そもそもキャンバスを丸めてしまった時点で、1600年代の絵には致命的な亀裂が入ると言われています。実行犯のパーソナリティに決定的な矛盾が生じます。
2.マンノーイアは本当に実行犯ではないのか
マンノーイアの供述が嘘である疑いが強まったのは2001年のことです。どんなに遅くても2015年にはカラビニエリの将校によって、彼が盗んだのは他の絵だったという情報が流されました。しかし2019年の「The Guardian」の記事ではマンノーイアが実行犯であることを前提として話が展開されています。
これはたぶん、公的機関が発信した情報が極めて少ないことに起因しているのではないかと思います。カラビニエリの言葉はある作家がこっそり聞いたものとして報道されており、公的機関の発信とは言いづらいものです。
マンノーイアやスパトゥッツァは「絵は破壊された」と語りましたが、ロッコ神父とグラドによる告白からその信憑性は低いものとなりました。マンノーイアは嘘を認めたとされていますが、それも保証されるものではありません。
正直なところ、マンノーイアが実行犯であるか否かはさして重要ではないと思っています。本当に困るのは公的機関(の1人)の発言が信用できるのか怪しい点です。他の情報も根本から揺らいでしまいます。これはメディアの伝え方や記者のモラルも関わってくることでもあるのかもしれません。
『キリスト降誕』の行方はいまだに不明ですが、無傷ではないことは確実です。返還されても大規模修復が必要になるのではないでしょうか。
登場マフィア解説
マリーノ・マンノーイア(Francesco Marino Mannoia)
ステファノ・ボンターデ率いるサンタ・マリ・ディジェス・ファミリーに属する。麻薬精製や殺人に関与した。1989年に改心。当時司法に勝ち誇っていたコーザノストラからの最初の改心者でもあるが、翌年には彼の供述を恐れたコーザノストラに親族を殺害された。
自らが『キリスト降誕』の窃盗実行犯であり絵が破壊されたと証言したが、後に嘘だと自白した。
ガスパーレ・スパトゥッツァ(Gaspare Spatuzzo)
フィリッポ・グラビアーノに使えるヒットマン。彼が殺害したピーノ司祭は、生前に銃弾を打ち込まれたヤギの頭部とメッセージカードを受け取っていた。(映画『ゴッドファーザー』には馬の首を脅しに使ったシーンがある)
絵は燃やされたと語ったが、後のマフィア達の証言を勘案すると嘘である可能性が高い。
ジュリオ・アンドレオッティ(Giulio Andreotti)
正式にはマフィアの構成員ではない。7回の首相、約10回の各省大臣を歴任し、キリスト教民主党党首でもある彼は「魔王」と呼ばれた。マフィアと懇意にしていた疑いや間接的に殺人に関与した疑惑もある。
ゲルランド・アルベルティ(Gerlando Alberti)
ポルタ・ヌォーヴァ・ファミリーに属した。タバコやヘロインの密輸で活躍した有力なマフィアである。1981年に勃発した「第二次マフィア戦争」を幸運にも監獄の中で生き延びた。
一時期『キリスト降誕』を所持していた可能性があり、箱に詰めて埋めたとされている。後にその場所が掘り返されたときに箱はなかった。
ヴィンチェンツォ・ラ・ピアナ(Vincenzo La Piana)
ゲルランド・アルベルティの甥。警察に箱の情報提供をしたが、箱は見つからなかった。
ロザリオ・リッコボーノ(Rosario Riccobono)
コーザノストラの調整機関「コミッション」のメンバー。複数の検事たちの殺害を計画したことや、同じ古参マフィアであるステファノ・ボンターデ達を裏切ってコルレオーネ・ファミリーに味方したことで信用を落とした。1982年に失踪。死亡説が有力。
サルバトーレ・カンチェーミ(Salvatore Cancemi)
ポルタ・ヌォーヴァ・ファミリーに属した。1993年に自首し、情報提供者となった。シチリアで最も有力なボスたちの会合に『キリストの降誕』が飾られていたと証言している。一説では当時のボス中のボス、トト・リィナが見せびらかしていたという。
ジョヴァンニ・ブルスカ(Giovanni Brusca)
コルレオーネ・ファミリーの一員。パレルモの英雄的存在である検事ファルコーネ殺害時、爆弾を仕掛けた実行犯とされている。1996年に逮捕されたが、情報提供者になったことで刑期が懲役26年に短縮。2021年に釈放された。
絵を国家との交渉に使ったと主張している。厳しい刑務所制度41bisを緩和する代わりに絵を差し出したが、国は拒否したとも語った。
ガエターノ・バダラメンティ(Gaetano Badalamenti)
1975年の「コミッション」のトップ。古参の穏健派であるためコルレオーネ・ファミリーと対立し、1981年の「第二次マフィア戦争」で命を狙われる。彼はシチリアからの逃亡に成功したが、11人の家族と親戚は殺害された。本人は2004年に心不全で死亡。
最終的に絵を所持したマフィアとされ、スイスの美術商に売り渡したとの説が有力。
ガエターノ・グラド(Gaetano Grado)
ステファノ・ボンターデ率いるサンタ・マリ・ディジェス・ファミリーに属する。
バダラメンティの依頼で窃盗犯から絵を入手し、バダラメンティがスイスの美術商と交渉したことを告白した。2018年に『キリスト降誕』について語った、最後の情報提供者。
参考文献(重複あり)
兆候と失踪
https://art-crime.blogspot.com/2019/10/on-50th-anniversary-tale-of-two.html
マフィアによる無情な証言
https://www.theguardian.com/world/2005/nov/28/arts.italy
https://art-crime.blogspot.com/2012/05/more-confirmation-of-old-news-pietro.html
https://news.artnet.com/art-world/stolen-caravaggio-replaced-replica-391166
証言の虚実、マフィアの抗争による混乱
忘れられていた当事者の声
最後の供述