ブラックマーケット調査

・・・すこし手直し中・・・

緊迫した交渉の行方 /フリーデンシュタイン城の名画盗難事件

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ハンス・ホルベイン『聖カタリナ』


本記事では1979年のドイツで起きた絵画盗難事件について扱います。美術史上、スチュアート・ガードナー美術館の事件と並ぶ大事件です。

本事件は絵画が返還されたという意味では解決済みとも言えます。しかし窃盗団や絵画がたどった経緯についてはほとんど解明されていません。ドイツ警察にとってはまだ未解決事件として扱われています。

この記事は美術とマフィアというカテゴリー名ではありますが、未解決であるがゆえに犯罪組織との関わりも謎であり、疑われている犯人もあくまで一説でしかないことはお断りしなければならないことでしょう。

 

フリーデンシュタイン城にて

1979年12月14日夜、雨雪の降る寒いゴータ市。

ある窃盗団がフリーデンシュタイン城の外壁をアイゼンを使って10メートル登り、3階の窓をガラスカッターで割って侵入した。室内の気温データロガーは急速な気温低下を記録し、これが午前2時の出来事である証拠を残している。

窃盗団(一部メディアでは2人と言われている)は窓の近くにある絵には目もくれず、オランダの巨匠が展示されている部屋に向かい絵画4点を持ち去った。

フランス・ハルス『若い男の肖像』

アンソニー・ヴァン・ダイク『ひまわりの自画像』

ヤン・リーフェンス『老人』

ヤン・ブリューゲル(父)『農民の荷馬車と牛のいる田舎道』

窃盗団は次にドイツのギャラリーへ向かい、ハンス・ホルベイン(父)の『聖カタリナ』も持ち去った。これらオールドマスターズは、重い額ごと盗まれてしまったのだった。

通常、多くの絵を盗もうとした場合、絵は切り取られて重い額が現場に残される。今回の事件で消えた5点の絵は最初から狙われていたのだ。しかも新たな警報装置が3日後から作動する予定でもあった。犯人たちが入念な準備と知識を持ち合わせているのは明白であった。

翌朝7時10分に美術館からゴータ警察に通報が入り、警察は外壁の避雷針の根本や、犯人の逃走経路と思われる公園に額の破片を見つけた。絵の被害額は推定で450万西ドイツマルクにも上る。

これを受けたシュタージ(ドイツ国家保安省)は捜査チーム「オールドマスターズ作戦」を展開し、ドイツ人民警察は95人の警官を投入した。当時ベルリンの壁で隔離されていた東ドイツで行われた捜査は強硬なものであったに違いない。ゴータ市犯罪捜査部グリューナー少佐の報告書によると、現場付近に住むか働いていた1027人が調査され、美術館に関わる252人が監視された。そして数百人の受刑者・元受刑者が調べ上げられ、恩赦を受けて釈放済みの189人の強盗犯を尋問、そのうち86人の家が家宅捜索を受けたという。

総合すると膨大な数の人物が聞き取り調査を受け、逃走用の車として疑われた「Sachsenring P70」1045台の車が調べられる大捜査となった(他にも6700台の車が調べられたという情報もある)。

しかし絵画は見つからなかった。1980年代半ば、シュタージと人民警察はほぼ捜査を終了してしまっている。有力な情報がないまま、40年近い時が過ぎようとしていた。

 

交渉

2018年7月、当時のゴータ市長クント・クロイシュ(Knut Kreuch)の元へ、ある弁護士から連絡があった。

「クライアントが5つの絵を売りたがっている」

クロイシュはすぐさま応じ、ゴータ市役所で弁護士と対面することにした。というのも、この弁護士は出処の怪しい美術品を表の世界に再流通させる専門家であり、かつてゴータ市が他の美術品を買い戻す取引にも参加していた人物であったからだ。

それにクロイシュは10年前、盗まれた絵画を取り戻そうとメディアキャンペーンを打ち出したものの行き詰った過去がある。この2人は遅かれ早かれ出会う運命だったのかもしれない。

弁護士は5枚の写真をクロイシュに見せた。間違いなく、フリーデンシュタイン城から盗まれた絵画たちだった。

追求するクロイシュ。しかし弁護士は具体的な話になるとあいまいな返答をする。希望の取引額も教えてくれない。弁護士のクライアントは、まずゴータ市が絵を買い戻したいかどうかを知りたい様子だった。

会談を終えるにあたって、クロイシュは3つのメッセージをクライアントに伝えてもらうよう要求した。

「ゴータ市は絵の返還に大変興味がある」

「絵をどうやって手に入れたのか?」

「訴訟するつもりはなく、円満解決を望む」

2人は今後も連絡を取り合うことに合意したが、クロイシュは追い詰められていた。いち市長にすぎない自分にはこの案件を単独処理する権限がない。かといって市職員に相談すれば情報が洩れ、取引が失敗に終わるかもしれない。しかもドイツの法律では、絵の返還請求権はすでに30年の時効を迎えてしまっている。クロイシュの失敗は手がかりの消失を意味していた。

 

9月、クロイシュは誰にも秘密を話さないまま、エルンスト・フォン・シーメンスアート財団の事務局長マーティン・ヘルネスを訪ねた。へルネスはクロイシュが美術館から消えた象牙を買い戻すのを手伝ったことがあり、彼の財団は盗品の取り戻しの経験があった。ただしこのような取引について財団には明確なルールがあった。

1、財団は泥棒から直接の買取をしてはいけない。

2、売り手はアイテムを入手した経緯を明らかにしなければならない。

3、価格は公正なものでなくてはならない。

財団の資金協力を仰ぐための高いハードルが明確になった。しかしクライアントについての情報は極めて断片的で、「亡くなった先代からどうやって手に入れたのか不明な絵を相続したグループ」としか聞けていない。ただ、クライアントが絵について盗品であることを知った上で入手したことは会話から断片的にうかがえていた。城から盗まれた絵はもはや有名すぎて、事件を知らずに手に入れたなどとは到底言えない状況でもあった。

クロイシュは2通りの方法で交渉を進めることにした。1つは絵画の鑑定を促す事、もう1つはできる限り書面で絵画の入手経路をはっきりさせてもらうこと。弁護士は長い沈黙に入った。

ある日、ようやく弁護士から取引額が告げられたがその額は途方もないものであった。彼は525万ユーロを要求したのだった。これははたして「公正な価格」と言えるのだろうか?

年末、弁護士は鑑定のために1枚の絵をゴータに持っていくと言った。しかしクロイシュは即答せず後にこれを断り、5点すべて持ってくるか、全く持ってこないかのどちらかだと要求。弁護士は再び沈黙した。

翌年春、事態は動き出した。弁護士がゴータ市庁舎に5点の絵画を持っていくと言ったのだった。しかしクロイシュは誘導を狙い、これを断る。

「ゴータ市庁舎に持ってこられたところで私に何ができるのか?」

代わりにベルリン美術館にあるラスゲン研究所に持ってくるよう要求した。絵を受け取り、そのまま研究所で本物であるか鑑定することにしたのだ。

弁護士は525万ユーロの購入代金を含む5ページの契約書をクロイツに送った。契約には争う余地があるように思えたが、クロイシュはとにかくサインすることにした。他にできることがはたしてあるだろうか?もしその通りになったとしても、へルネスはアート財団が支払いをするよう指示していた。

具体的なプランがやっと整った。5枚の絵は、9月30日にベルリンにやってくる。このプランにはラスゲン研究所も同意していた。

しかし国立博物館の弁護士たちは、盗品を国家機関で調べることに疑問を感じ、州刑事庁にその旨を伝えていた。クロイシュとへルネスは事を穏便に済ませる事を望んでおり、その方が他のゴータ所有の消えた美術品が戻るチャンスが増えると期待してもいた。しかし警察には警察のルールがある。州刑事庁ではルネ・アロンジェがこの事件を担当することになった。彼は過去の実績からアート・シーンで高い評価を得ていた人物である。

 

オールドマスターズの返還

9月30日、ベルリンのラスゲン研究所にはクロイシュとへルネス、へルネスの上司、例の弁護士が集まった。なおへルネスの上司というのはアロンジェが忍ばせた潜入捜査官である。捜査官を忍ばせた意図は明確になっていないが、今後の捜査のための情報収集、かつへルネスよりもさらに決定権を持つ人物として振舞うことで弁護士に逃げ場を与えない意図があったものと思われる。なにせクロイシュとへルネスは絵さえ帰ってくれば良いが、ドイツ警察にとっては容疑者の逮捕、事件の真相解明に至らなければメンツを取り戻せないのだから。

クロイシュが契約書にサインしたのを確認し、弁護士は電話で車を呼んだ。間もなく研究所の裏口にメルセデスベンツ・スプリンターが到着し、運転していた男が降りてきた。男は名乗らずに荷物を降ろし始めた。

梱包を解くと、盗まれた5つの絵が現れた。絵は安物の額に入れられ、どうやら同じクリーニングを施されたらしい。結論を先に述べてしまうが、3か月間の分析の結果、全て本物であることがわかった。

この記事における本題はブラックマーケットの追及であるため、返還後の絵の扱いは簡単に書き留めて終わろうと思う。

この後、5枚の絵は再びフリーデンシュタイン城に展示され、失われた美術品をテーマとする展覧会に並ぶ。そのうちの1枚、ヤン・リーフェンスの描いた肖像画が実は師匠のレンブラントが書いたかもしれなく、思っていた以上に価値が高い可能性が浮上し、学芸員の間でちょっとした騒ぎになったりもしている。

 

犯人は誰だ?

ベンツから絵を降ろした男は、研究所に張り込んでいた覆面捜査官から質問を受けた。男は5枚の絵を入手した経緯を以下のように語っている。

 

3年前に父を亡くし、自分を含む5人の相続人が1枚ずつ絵を手に入れた。今回はそれを集めて持ってきたにすぎない。

父はロシアの捕虜となっていた頃、ハンスという男に出会った。ハンスはその後オーストラリアに移住したのだが、彼の息子が政治犯として東ドイツの刑務所に入れられてしまった。このことを父に伝えると、父はすぐさまハンスの息子の釈放のため東ドイツドイツ民主共和国)に数百マルクを支払った。釈放の担保として、父はシュタージから絵を受け取ったという。

 

この話を真に受けるなら、国家保安省であるシュタージは何らかの方法で秘密裏に絵を入手していたことになる。かつ盗品を自らブラックマーケットに流す役割を果たしてしまっている。

男の話を作り話とするのが妥当なところではあるだろう。事実、警察はベンツのナンバープレートから北西ドイツの医師までたどり着き、男がその医師であることも顔写真から突き止めた。そして男の話は嘘であることも調べ上げている。彼の父が他界したのは1年前で、ロシアの捕虜としての記録も遺産相続の記録も見つからなかった。

しかし冷戦まっただ中の東ドイツで盗まれた絵が西ドイツに渡っていたというのは奇妙な事実ではある。人や物の出入を厳しく管理していた東ドイツから、どうしてあまりにも有名な絵が持ち出されたのか?

犯行現場に残されたアイゼンの素材は東ドイツで製造・使用されていないという分析結果もあるという(西ドイツで使われていた素材という説もある)。厳重な警備体制が敷かれたベルリンの壁または国境を、窃盗団や犯行の道具、そして盗んだ絵が行き来できたのはなぜか?

この異様な状況はいくつかの憶測を呼んだ。事件発生時に疑われた人々とともに、以下に詳述する。

 

1.シュタージ犯人説

国家保安を担当するシュタージが犯人であるというのはいささか突飛ではないだろうか。ただ、この説は緊急に必要な外貨獲得を狙い、「戦利品」を海外に売るために行ったという一応の理屈づけがある。それだけ、東ドイツは貧しかったのだ。

実際、シュタージの報告書によると、シュタージの大佐ゴロトコフスキーの外国貿易グループに属する国有企業の従業員が、事件の数日後にゴータにいたという。

本件におけるゴロトコフスキーの暗躍は憶測の域を出ないが、彼が貧しい東ドイツにおいて重要な外貨獲得の役割を担っていた事、違法な取引の数々で起訴され有罪となっていることは事実である。

西ドイツに絵を運んだ手段としては、城の近くにある屠殺場経由で食肉と偽って運んだ話もささやかれた。絵が盗まれた夜間のうちに運ばれ、事件発覚時にはすでに西ドイツにあったというのである。しかし絵が盗まれた夜に肉を載せた貨物が運ばれた証拠は見つからなかった。

 

2.ある経営者とシュタージの共謀説

これは部分的に事実を含む説ではある。実はフリーデンシュタイン城が狙われたのは今回が初めてではない。1年前から複数回の侵入未遂があったが、いずれも失敗に終わっていた。

1回目はとっかかりとして利用した壁の避雷針が抜け落ちて失敗、2回目ははしごを持参したが窓を開けられず、3回目は侵入しかけたものの、ドアマンに通報されて6人の犯人が逮捕されるに至った。

一連の事件の黒幕はオットー・Wという経営者で、金の投機で注目を浴びてシュタージと共謀するに至ったのだというのがこの説である。事件の黒幕が明らかになるまでは事実だが、どうしてここでシュタージが登場するのかは参考文献から読み取れなかった。単にシュタージ犯人説に他の事実をリンクさせた亜種のように思える。

ちなみに逮捕された6人は事件から2か月前の1979年10月にドイツ民主共和国建国30周年を記念して恩赦されている。もちろん事件が起きてから厳しい調査を受けた。警察とシュタージによる手紙の盗み見、電話の盗聴、非公式の協力者による張り込みにもかかわらず、彼らから犯行の証拠は出てこなかった。

3.あるアーティスト一家を犯人とする説

ヴァイスハイト一家は綱渡りなどのアクロバティックなパフォーマンスで知られていた。何より、使用していたアイゼンが自作の物であるという点が警察の注目を引いたものと思われる。警察としてはそれなりに自信があったらしく、調査員がクライミングの動作を再現した写真もあるという。

しかし結局は無実であることがわかった。

 

2つの説は抑圧的な秘密警察でもあるシュタージへの不信感の表れともとれる。しかしどの説ももっともらしい証拠がなく、参考にはできない。

そこでもう1つ、有力な情報が出てきている。

2020年、ドイツの週刊誌「Der Spiegel」は列車運転手のルディ・ベルンハルト(Rudi Bernhardt)を窃盗犯の候補として挙げた。

チューリンゲン州シュマルカルデンの出身のベルンハルトは、実行犯の1人であると言われている。そして彼自身が西ドイツの共犯者の助けを借りて西へ絵を輸送したというのだ。決定的だったのは、ベルンハルトが絵を売ろうとしていた人物からの情報だった。さらに現場に残された靴のサイズが一致していたこと、城の近くで彼の車が目撃されていたことが情報の信憑性を高めた。

ただし留意すべきは、ベルンハルトが2016年に亡くなっていることである。彼についてわかっている情報は上述した限りである(むしろそれくらいしかない)。真相のほとんどを墓に持って行った形となっている。そして警察は正式には誰も起訴しておらず、ベルンハルト犯人説はDer Spiegel紙とジャーナリストの主張であるという点も忘れてはならないだろう。

警察が公表しているのは、ラスゲン研究所に絵を持ってきた男性とその弁護士を、脅迫と盗品所持の疑いで捜査していることだけである。

 

あくまでこの事件は民事上は解決しているが、刑事上は未解決である。

 

 

あとがき

 

本文では扱いませんでしたが、弁護士が要求していた525万ユーロは支払っていないとアート財団のへルネスは強く主張しています。つまりベルリンの研究所かその他水面下で何らかまた別の取引があったことは確実でしょう。身代金を支払わず絵を取り戻したと言えば聞こえは良いのですが、謎が余計に深まります。残念ながら手掛かりとなる情報は出回っていません。犯罪組織との取引ならふつう公表されるのですが……

事件のドラマティックさはアピールされていますが、根幹部分はなにもわかっていないというのが正直な感想です。

美術とマフィアと銘打った以上、もう少し犯罪集団の関与を見つけておきたかった所です。最後に、当時ドイツで活動していた(と思われる)グループを挙げてこの記事を終わります。

 

レバノン人グループとクルド人グループ

70年代の東ドイツは積極的に内戦下のレバノン人亡命者を受け入れ、そのまま西ドイツに送っていたといいます。西ドイツを疲弊させる目的もあったと言われていますが、彼らの一部は犯罪組織化してしまいました。

同様に70年代終わり、ドイツ政府はクルド人政治亡命を認めたため大量のクルド人流入しています。

1981年のベルリンの新聞に「組織犯罪が増加」という記事が出てもいるようです。実際の犯罪件数をみると89年の壁崩壊以降に跳ね上がったため、本格的な活動はもっと後とも考えられますが、これは統合後にはつきものの現象です。81年の記事の信憑性は不明ですが、そちらの方が価値のある情報のようにも思えますね。

②グレミウム・モーターサイクル・クラブ

1970年以降に唯一名前が確認できるドイツの犯罪組織です。ただこれはサブカルチャーグループであり、オートバイに乗りクラブ特定のジャケットを着ることで所属を表す、ゆるい連帯を持つ不良集団のようなものと言えます。構成員船員が犯罪に従事した訳ではありません。少なくとも当時はそうでした(1999年から力を増していきます)。

もっとも、「ゆるい連帯」というのは当時のドイツにおける犯罪組織のキーワードです。厳しい監視体制の下では、秩序だった指令系統を持つのは大変だったのかもしれません。

 

いずれの犯罪組織も、肝心の1979年付近にどの程度活動できていたのかは不明です。現代のドイツでは海外からやってきたマフィア等数多くの犯罪組織が活動していますが、それでもドイツ発祥の組織は珍しいようです。

 

 

参考文献

フリーデンシュタイン城にて & 交渉

https://www.deutschlandfunk.de/schlossmuseum-gotha-gemaelde-aus-spektakulaerem-ddr-100.html

https://www.spiegel.de/international/germany/paintings-returned-40-years-after-east-german-art-theft-a-1300384.html

https://web.archive.org/web/20091213183858/https://www.n-tv.de/panorama/dossier/Der-Coup-von-Gotha-article633878.html

https://www.mdr.de/nachrichten/thueringen/west-thueringen/gotha/kunstraub-gotha-diebstahl-gemaelde-faq-100.html

https://www.archyde.com/greatest-art-theft-of-the-gdr-paintings-reappeared/

 

オールドマスターズの返還

https://news.artnet.com/art-world/stolen-painting-may-actually-be-by-rembrandt-2029969

https://awsforwp.com/2021/11/09/a-painting-stolen-in-the-largest-art-theft-in-east-germany-could-be-a-rembrandt-smart-news/

 

犯人は誰だ?

https://www.zeit.de/kultur/kunst/2019-12/kunstdiebstahl-gotha-schlossmuseum-ddr-kunstraub-kriminalfall/komplettansicht?utm_referrer=https%3A%2F%2Fsecond.wiki%2F

https://web.archive.org/web/20100527121307/http://www.daserste.de:80/ttt/beitrag_dyn~uid,3hpbitehe4tg0zb1~cm.asp

https://www.deutschlandfunk.de/schlossmuseum-gotha-gemaelde-aus-spektakulaerem-ddr-100.html

https://www.theartnewspaper.com/2021/11/03/recovered-painting-could-be-unknown-rembrandt

https://www.faz.net/aktuell/feuilleton/kunst-und-architektur/kunstraub-ddr-spiegel-aufklaerung-gotha-16927140.html?fbclid=IwAR19VhFvvfVs_VhtnxeYln0_kOetYq2as-nGFj1Po7wlbtLP49L96e8VBqQ&utm_campaign=GEPC%253Ds6&utm_content=buffer83636&utm_medium=social&utm_source=facebook.com

https://xnewsnet.com/rembrandt-may-have-been-involved-in-the-art-robbery-at-friedenstein-palace/

https://www.theartnewspaper.com/2020/01/20/five-old-masters-return-to-german-castle-40-years-after-theft

あとがき

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80568

https://en.wikipedia.org/wiki/Gremium_Motorcycle_Club

http://www.organized-crime.de/IALEtnr1.htm

https://ocindex.net/country/germany

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