ブラックマーケット調査

・・・すこし手直し中・・・

排除されるのはゴミか、ヒトか。割れ窓理論の活用法を批判から考える

割れた窓

犯罪学でおなじみの割れ窓理論

  1. 割れた窓(管理が行き届いていない箇所)が放置される
  2. 住民や行政の関心がない場所として認識される
  3. 不品行の温床になり、犯罪が増加する

このような論理に基づき、ハーバード大学教授のケリングとウィルソンが提唱した理論です。現在は日本でも犯罪や非行防止のために多くの場で活用されています。

しかしこの理論は、無秩序の芽を摘むという性質上、手厳しく批判され続けてきました。

「恣意的に好ましくないとして、モノやヒトを排除できてしまう」

批判の多くは、権力の暴走や不寛容社会の到来を危惧したものでした。

 

はたして割れ窓理論は、差別と不寛容を強いる危険な理論なのか?

批判の歴史を通して、割れ窓理論の活用について考えていきます。

ニューアーク徒歩パトロール実験と割れ窓理論の誕生

無秩序が住民に与える恐怖

時は1960年代アメリカ。重大犯罪が政治的な関心事となっていた時代に、ある社会学者たちは地域コミュニティの犯罪不安について研究していました。

研究の結果、地域の無秩序が住民の犯罪不安を増加させていることが判明。住民は重大犯罪よりも身近にある無秩序への対策を望んでいることが浮き彫りとなったのです。

攻撃的な物乞いや酩酊者、売春による路上での性行為がはびこる地域。おびえた住民は外出を控え、転居し、街は荒れ果てていきます。結果として、経済活動さえ低迷してしまいます。

しかし当時の警察は、殺人や強盗のような重大犯罪ばかりに気を取られ、地域住民のニーズに答えようとはしませんでした。

 

ニューアーク徒歩パトロール実験

1970年代、ケリングはニュージャージー州ニューアークにて徒歩パトロールをする警察官に同行して実情を掴もうとします。

そこで行われていたのは、警察官と住民による密接な相談。どんな行為を取り締まってほしいのか、どの場所を重点的にパトロールしてほしいのかを住民との相談で決めていたのです。

当時は自動車によるパトロールが主流でした。徒歩パトロールは非効率的とみなされていただけでなく、警察官が人々の些細な不安を解決することは畑違いであると批判する警察幹部も多かったといいます。

しかし徒歩パトロールは地域住民の不安を確かに減少させるということが、この実験により判明しました。

 

割れ窓理論の誕生

1982年、ケリングとウィルソンはある論文を発表します。後に「割れ窓論文」として知られるこの論文は、ニューアーク徒歩パトロール実験を踏まえたものでした。

論文内では、無秩序がどのように治安悪化へ繋がるかについて以下のように述べられています。

一部の土地建物が放置され、雑草が茂り、窓が割られる。大人たちは騒ぐ子供を叱らなくなる。子供たちは図に乗ってさらに騒がしくなる。家族は転出し、身寄りのない大人が転入してくる。ティーンエイジャーが街角の商店街にたむろする。商店主がどくように頼んでも反抗する。喧嘩がおきる。ゴミが山積みになる。人々は商店の前で酒を飲むようになる。そのうちに酔っ払いが歩道に座り込み、眠って酔いをさますまで放置される。通行人に物乞いがまとわりつく。
引用:G.L.ケリング・C.M.コールズ著 小宮信夫訳 「割れ窓理論による犯罪防止」 文化書房博文社

無秩序が見過ごされる社会はさらに危険な無秩序を呼ぶ。割られた窓を放置するという些細な無関心によって治安が悪化するということが、たとえ話を用いて解説されています。

この文章の後に、既に荒れてしまった地域は犯罪にも無関心であると知らせることで犯罪者を呼び込むという論理へ続きます。

しかしこの論文発表時には、まだ無秩序と重大犯罪の因果関係は実証されていません。あくまで無秩序と人々の不安に因果関係があるという、ニューアーク徒歩パトロール実験で得られた事実をもとに作られた仮説にとどまります。

無秩序と重大犯罪の因果関係が実証されるまでには、8年の期間を要しました。

1990年、ノースウェスタン大学政治学教授のウェスリー・スコーガンによる「無秩序と衰退、アメリカの近隣都市における犯罪と崩壊の連鎖」という著作のなかでようやく無秩序は犯罪の芽であることが明らかとなったのです。

こうして割れ窓理論は、地域コミュニティーの不安軽減や犯罪抑止の施策に活用されるようになります。

 

ただし、この理論はすんなりと人々に受け入れられた訳ではありません。

秩序を守るために無秩序を作り出すものを排除する。これは人の自由を失わせるものではないかとの批判が相次ぎました。

割れた窓は、あくまで無秩序の例の1つです。ゴミの散乱や落書きが「割れ窓」にあたると考えられる場合もあります。

論争を巻き起こしたのは、人の存在が「割れ窓」に当たるケースです。

ホームレスの人々は掃討されてしまうのか?酔った状態で街を歩くのは罪なのか?

割れ窓理論は多数派の専制を推し進めるための危険な考えである」と反対する人々が次々に現れました。

割れ窓理論への2つの批判

①社会的弱者の徹底排除

秩序を乱す者としてホームレスを取り締まることは正しいのか。彼らは寒さから逃れるために地下鉄のホームで横になる。地下鉄から追い出したら、彼らはどこへ行けばいいのか?

これは、アメリカの人権活動家らによる割れ窓理論への批判です。

彼らは、割れ窓理論は自分たちと異なる人を排除し、差別的な施策を推し進めるものと非難しました。

社会を整理整頓しようとする施策は、社会的弱者を追い詰めてしまうことになる。彼らの主張はおおむねこのように要約できます。

無秩序を重大犯罪と結びつける割れ窓理論は、逸脱せざるを得ない人々の権利を主張する立場とは対立する運命だったのかもしれません。

②容赦のないゼロ・トレランス

割れ窓理論に基づく警察活動は、些細な秩序違反に対しても容赦なく対応するゼロ・トレランス(不寛容)であり、狂信的・独善的なものであるという批判。

よく引き合いに出されるのは、1990年から行われたニューヨークでの犯罪対策です。

この犯罪対策は、まず地下鉄の無賃乗車を徹底的に取り締まることから始め、ニューヨーク市全土へ同様の対策を広げたことで犯罪を半減させることに成功したものです。(もっとも、犯罪減少の全てがこの施策によるものとは言い切れません)

しかし、このような警察の活動方針は行き過ぎたものであり、独善的であると同時に財政的にも問題があると批判されることがあります。

 

割れ窓理論は批判にどう回答するか

①社会的弱者≠無秩序

ホームレスであることが取り締まりの対象となるのではなく、特定の目的をもってホームレスでいることが問題なのだという反論です。

というのも、当時のアメリカのホームレスには、攻撃的な物乞いをする目的や薬物依存によって路上生活をする人が大多数であったといいます。

取り締まるべきは貧困でやむを得ずホームレスとなっている人ではなく、強奪、通行人の脅迫を目的としている人、そして薬物乱用にふける人である。このような意見をもって人権団体への反論としました。

割れ窓理論においては、大多数の人々と異なる社会的弱者=無秩序ではないということをきっぱりと主張したことになります。

割れ窓理論ゼロ・トレランス

割れ窓理論に基づく施策は、決して徹底的な不寛容ではないとする意見です。

そもそも割れ窓理論の実践には、警察と地域住民との密なコミュニケーションが必要不可欠です。そこでは住人がどのような行為に不安を感じているのか、何を取り締まってほしいのかをしっかり聞き取る必要があります。

割れ窓理論において無秩序を定義するのは警察ではなく地域住民の総意です。警察による一方的な価値観の押し付けをすることはなく、そもそも割れ窓理論ゼロ・トレランスは別物であることを主張したことになります。

ある調査によると、ニューヨークの無賃乗車取り締まりの強化を行っても警察へのクレームは増加しませんでした。これは住民の多くが無賃乗車に対して不安を感じていたことの証左であると考えられています。

取り締まり強化に動いた警察本部長も、自分たちの行いは独善的なゼロ・トレランスと呼ぶべきものではないとの意見を明らかにしています。

 

批判に対する割れ窓理論からの回答によって、理論の本質がはっきりしてきたのではないでしょうか。

排除すべきは特定のモノやヒトではなく、あくまで市民の不安を惹起する行いであることが示されました。そしてそれは、市民との密なコミュニケーションによって共に定義していくものとしています。

割れ窓理論は、決して警察の独断や独善によって人々の自由を奪うものではないとケリングらは主張したのです。 

 

割れ窓理論を正しく活用するには

日本ではどう活用されているか

現在、日本では割れ窓理論に基づく地域安全活動が全国的に行われています。一見犯罪とは関係のない清掃活動から始まり、地域住民への声かけや徒歩でのパトロールが活動内容の中心となっているようです。

さらに活動の主体を警察に一任するのではなく、住民が自治体等を通して積極的に参加している場所も少なくありません。これは地域の防犯としては理想的な形です。

日本の割れ窓理論に基づく活動は、すでに高い水準にあるのではないでしょうか。

 

忘れてはならないこと

割れ窓理論の批判にもありましたが、秩序を守ろうとして「すべてのモノやヒトにはあるべき場所がある」という活動理念を持ってしまうと、監視社会・不寛容社会に繋がる危険性があります。

これはもはや割れ窓理論を飛び越えた強烈な秩序維持政策であり、日本のほとんどの地域には適さないでしょう。

目につく無秩序のすべてを有害と決めてしまう前に、本当にこの無秩序は正すべきなのか当事者である住民と検討する必要があります。割れ窓理論の正しい実践には、このプロセスが大切です。

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