「宝探し」とは、なんと魅力的な言葉でしょうか。
一攫千金の夢や考古学的なロマンを感じずにはいられません。
───舞台が古代王朝の栄えたエジプトであれば、申し分ないでしょう。
現実はきびしいようです。エジプトでは違法発掘中の事故死が発生しています。
古代都市ルクソールに近い県、ケナでの出来事。
2022年、ケナに住む6人が自宅の地下を11m掘り進めたところ、トンネルの崩落に巻き込まれて死亡しました。
自宅を掘るという行為は、日本に住む我々には理解し難いものです。
ケナには古代エジプトやイスラムの遺産が多いと言います。住民の一部は、家の地下にも宝物が眠っていると期待しているらしいです。
実際に、ある労働者が仕事中に古代の像の頭部を発見したという例があります。(この労働者は持ち逃げを図って逮捕されました。気持ちはわかりますけどね。)
ただし彼らを発掘に駆り立てるのは、歴史のロマンではありません。
根本的問題は貧困です。貧しい人々が一攫千金を夢見て、土を掘るのです。
専門家ではない彼らの作業が危険に満ちているのは想像に難くありません。2012年には100m掘り進めた洞窟が崩れ、10人が死亡する事故もありました。
20代の若者が宝を求めて砂漠へ旅立ち、変わり果てた姿で発見されたのは3年経ってからのことです。
新型コロナウィルスの流行後、エジプト全土での違法発掘が2倍以上に増えたという内務省の報告もあります。
失業した人々が富の神話に誘われ、洞窟へ潜っていったとの解釈がなされています。
もちろんエジプト政府は許可のない発掘を禁止しており、発掘した古代遺物は国有財産として扱うよう決めています。
歴史の重要なピースであるかもしれない遺物の流出は、国にとっての損失だという考えですね。
しかし、困窮した民にその言葉はどう聞こえているのでしょうか。
「文化など知るか、俺の家族の生活が大切だ」という声が聞こえてくる気がします。
少なくとも断言できることが1つあります。盗掘をする民にとっての救世主は、政府ではなく遺物を求める闇商人ということです。
闇商人については当ブログでも何度かとり上げました。石板も彫像も棺でさえも、金に換えたがる人物がいます。需要があれば供給も発生するのが道理です。
闇世界の流通を仕切る者は、実際に穴を掘る必要はありません。当然、生き埋めになる危険とは無縁です。安全なところで銭勘定をしていればいいわけです。
この構図は世界を汚染する麻薬と似ています。
麻薬原料の農家と、密輸美術品の盗掘者。その多くは野望や暴力とは無縁な、素朴な民にすぎません。