引用:Museo Nacional de Antropología, Mexico City
絵画も好きですが、古代遺跡もロマンがあっていいですね。
前回に続き、マヤ文明の遺跡から奪われた遺物の話です。盗掘作業中の写真が残っている本件は、極めて珍しいケースと言えます。
プラセレス遺跡のファサード
メキシコ南部のユカタン半島にあるカンペチェ州。プラセレス遺跡は、そのジャングル地帯の中に位置する。
プラセレス遺跡はマヤ文明によって意図的に埋められたと考えられているが、理由はわからない。比較的マイナーな遺跡とみなされており、1920~1940年代にマヤ遺跡の発掘で名を上げた考古学者、シルヴェイナス・モーリーによって発見された。
プラセレス遺跡には、9メートルにわたって彫り込まれたファサード(正面からの外観を指す言葉)がある。450~600年ごろに作られたものだという。
中央に見えるのは羽飾りをかぶった人物の顔。知られていないマヤの王、もしくはトウモロコシの神と考えられている。
両脇に配置されているのは老齢の神であるとされており、左側の神は「黒」と「黄」を表す文字を持ち、右側の神は「葦」を意味する文字を持っている。
引用:Museo Nacional de Antropología, Mexico City
盗掘者に狙われたのは、この大きく精巧なファサードだった。
発見、密輸ストーリー
1968年、メキシコで活動していた盗掘者がプラセレス遺跡のファサードを発見。買い手を探し始める。
連絡を受けたのはエバレット・ラシガ(Everett Rassiga)。彼はニューヨークの古美術商だった。
現地に赴いたラシガは、まずファサードの写真を撮影。そしてさらなる買い手になりそうな人物としてジョスエ・サエンス(Josué Sáenz)博士に写真を送った。サエンス博士はグロリア・コデックスを別の盗掘者から買い取った人物でもある。
しかしサエンス博士はファサードには手を出さなかった。
ファサード盗掘時の写真 引用:Trafficking Culture
ラシガはそれでも買い手が見つかるだろうと考え、ファサードを持ち出すことにした。大きなファサードはそのままでは輸送できないため、いったん切り刻むことに決めたという。
48枚に切り分けられたファサードは、まずメキシコのメリダ州に送られた。輸送手段はジャングルの中に作った滑走路を利用しての空輸だったと考えられている。
偽の荷物は、その後ニューオリンズを経由してニューヨークに運ばれ、最終的にメトロポリタン美術館に向かった。
当時、メトロポリタン美術館はちょうど「Before Cortés」という展覧会を予定していたという。おそらく、1521年のエルナン・コルテスによるアステカ征服以前の時代を扱う予定だったと思われる。
マヤ文明のファサードは、まさにうってつけの品と考えたのだろう。ラシガはメトロポリタン美術館に切り刻んだファサードを40万ドルで売り込んだ。
美術館の当時の館長、トマス・ホーヴィングはラシガの提案を拒否し、代わりにメキシコ国立人類学博物館のイグナシオ・ベルナル博士にこの件を報告した。ホーヴィング館長は、大規模な盗掘が行われた可能性を通報することを選んだのだった。
美術館にやってきたベルナル博士は、ファサードが盗掘品であると断定し、売り手の正体を尋ねた。
売主の名前を明かすのは美術館の方針に反する。そう言いながらホーヴィング館長は、胸ポケットにあったラシガの名前を顎で示したという。
メキシコに家を構えていたラシガのもとに、警察官がやってきた。「家とファサード、どちらを手放すか?」
この問いに、ラシガはファサードを手放すことを選んだ。
プラセレス遺跡のファサードは、現在メキシコシティの国立人類学博物館に保管されている。修復作業は2023年に終わる予定だという。
参考文献
ファサード盗掘に詳しいもの
https://traffickingculture.org/encyclopedia/case-studies/placeres-stucco-temple-facade/
https://traffickingculture.org/data/data-images/placeres/
https://www.deepl.com/ja/translator