ブラックマーケット調査

・・・すこし手直し中・・・

「誘拐マフィア」に奪われたストラディバリウス /バイオリンと犯罪組織について 


画像引用:Museo del Violino公式facebookより

名画に並ぶ金額を持つバイオリンを求めるのは、明るい世界の住人だけではありません。

ここで解説するのは、有名なバイオリンが盗まれたいくつかの事件です。

 

三大バイオリンの価値

楽器を値段で語るのは、音楽を愛する人にとってはナンセンスかもしれない。

しかし犯罪との関わりを語るには、金銭的価値からの評価は不可欠である。

つまり価値が極めて高く、「3大バイオリン」と呼ばれる楽器の解説がまずは必要だろう。

本記事の事件で盗まれるものは、ほとんどがこれに属する。

 

アマティ

16~17世紀にかけて、イタリアのクレモナで名高いアマティ家が制作したバイオリン。

当時クレモナは音楽の中心地だった。

この町で伝統的なバイオリン製法を受け継いだのがアマティ家である。

特にニコロ・アマティは後世に伝統製法を伝えた重要人物であり、彼の作成したバイオリン「ニコロ・アマティ」はオークションで65万ドルの値がつけられたことがある。

 

ストラディバリウス

17~18世紀、同じくクレモナで活躍したストラディバリ家。その1人であるアントニオ・ストラディバリが作成したものがストラディバリウスとして後世に残った。

アントニオは息子のフランチェスコとオモボノと共に1000挺近いバイオリンを作ったが、現存しているのは650挺である。

オークションでの最高落札価格は1千500万ドル。飛びぬけて高価なバイオリンとして広く知られている。

父アントニオの死後、息子たちもバイオリンを作成したが5年ないし6年で他界してしまい、価値もアントニオ作には及ばなかった。

よってストラディバリウスというバイオリンは、実質アントニオ・ストラディバリ作のものを指している。

 

ガルネリ(グァルネリ)

17~18世紀にストラディバリ家と並び高名だったガルネリ家。その1人であるバルトロメオ・ジュゼッペ・アントニオ・ガルネリ作のものが主である。

最高落札価格は360万ドル。

盗まれることは少ないが、これは作成数の少なさによるものかもしれない。

 

では本題のバイオリン盗難事件に移ろうと思う。

 

まずは全体の印象を解説すると、多いのは機会的犯罪である。たまたま奪えそうだから奪った、無計画な犯人が多数を占める。

さらに犯人がバイオリンの価値を知らない、または盗んだバイオリンが何なのかわかっていないと思われるケースもある。

そういう犯人は、本来の価値の10分の1や100分の1、ときにそれ以下の値段で売り払ってしまうのだ。

そして絵画や古美術と決定的に異なるのは、組織的な犯罪の関与が少ないことである。

盗まれた名画のようにギャングやマフィアが担保として保管したりすることは滅多にない。

 

本記事では、犯罪組織の関与が明らか、または疑われるケースについてご説明する。

最初にご紹介するのは、極めてレアケースと思われる、犯罪組織が身代金を要求した事件である。

 

犯罪組織「ンドランゲタ」との交渉

ピエール・アモイヤルは、ストラディバリウスのためにあらゆるものを売った。

心苦しいが、師から譲り受けたバイオリンでさえも売らなければならない。

名工が残した楽器は、それだけ高価だった。

 

アモイヤルは師であるハイフェッツに電話し、バイオリンを売っても良いか伺うことにした。

「私が言ったことを忘れたのか?」

ハイフェッツは続けた。

「君の物だと思え、と言ったんだ」

会話はこれで終わった。

 

師は寛大だった。つまり「好きにしたまえ」という意味である。

 

こうしてアモイヤルはストラディバリウス「コハンスキー」を手に入れることができた。(バイオリンには過去または現在の持ち主の名前がニックネームとして付くことがある。)


ピエール・アモイヤル 『シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 / 6つのユモレスク』(1981)。画像引用:ストレイト・レコーズ

 

このストラディバリウスが奪われたのは、1987年4月15日のことだった。

イタリアのトリノに滞在中、アモイヤルはタバコを買おうとポルシェを停めて歩き出した。

すると何者かがポルシェに飛び乗り、そのまま逃げ去ってしまった。ポルシェにはストラディバリウスを載せである。

 

ポルシェは2日後にトリノの中で見つかった。しかし楽器はトランクから消えていた。

 

犯人は何者なのか?その答えは身代金の要求で判明する。

アモイヤルはある写真を受け取った。写真にはコハンスキー・ストラディバリウスが写っている。交渉が始まったのだ。

そして相手はイタリアの犯罪組織「ンドランゲタ」であることがわかった。

 

ンドランゲタは、イタリア半島最南端のカラブリア地方で生まれた犯罪組織である。

初期は農村の小さな組織だったが、徐々に都市型組織へと変貌し、1960年以降は北イタリアにも勢力を伸ばしていた。

彼らの得意とする犯罪は麻薬取引と、誘拐であった。ンドランゲタは、アメリカの石油王ポール・ゲティの孫の誘拐をしたことでも有名である。

 

ピエール・アモイヤルは悪名高い誘拐マフィアと対決することになった。

 

クライムサスペンスのような展開に乗じて、怪しい人物や詐欺師が群がってくる。アモイヤルはこれらを追い払い、スイスにいる探偵を見つけた。

探偵はトリノのある人物たちと繋がりを持っている。怪しいが、確かな知識を持つ人物たちだ。

さらに弁護士ジェンナーロ・エギディオとも相談を繰り返した。エギディオは身代金取引のプロとしてローマでは有名だった。

 

アモイヤルは、ンドランゲタの身代金要求に対して「ノー」と答えた。

 

ここからは水面下の話となる。

実は、盗まれてから最初の2年間、ストラディバリウスはトリノにあった。

ギャングのボス、ヴァレンティノ・ジョルダーノは金に困っており、麻薬取引のためにストラディバリウスを手元に置いていた。

このジョルダーノが強盗の実行犯と言われているが、ンドランゲタのメンバーかどうかは不明である。

彼は電話傍受によって、盗まれたストラディバリウスを持っているとして警察にマークされていた。

盗難から2年後の1989年7月、ジョルダーノは3発の銃弾で殺害された。臀部に1発、背中に1発、そして頭部に1発。

殺害の動機は不明である。

 

ジョルダーノは生前、ストラディバリウスを盗品故買屋に売っていた。しかし店主も間もなく自然死し、その跡継ぎが競りを開いてストラディバリウスを売り払った。

買い手は裏社会の人物と言われており、ここからンドランゲタの手に渡ったと考えられる。脅迫が行われたのもこの頃である。

 

競りに負けた人々は恨みからか、警察への情報提供を惜しまなかった。アモイヤルと警察はようやく動き出すことができた。

しかし警察によるおとり捜査は失敗し、アモイヤルは絶望の淵に立たされた。

捜査の手が迫っていることが分かれば、ストラディバリウスはまた裏社会に沈むか、破壊されるかもしれない。

 

捜査の最終局面は、必死のカーチェイスだった。犯人たちはトラックとパトカーに挟まれ、事件は終わりを迎えた。

逮捕されたのは4人。Ugo MittoneとRina Crestanello夫妻、整備士のSalvatore Meledduと妻のAnna Maria Scansaroli。彼らはンドランゲタの下っ端とみられている。

 

盗難から5年後、アモイヤルはコハンスキー・ストラディバリウスとの再会に涙を流した。

アモイヤルの最初の演奏は、捜査に尽力した警察を称えるものだった。完璧な状態で戻ってきた楽器は、何ともいえないハーモニーを奏でたという。

 

テーザーガンで襲われたバイオリニスト

フランク・アーモンドはストラディバリウス「リピンスキー」をオーナーから借りていたコンサートマスターである。

 

2014年1月27日、アメリカのミルウォーキー州。彼はこの夜、コンサートを終えて車に乗り込むところだった。

突然、アーモンドの体に激痛が走る。

それは刃物でも銃でもない、電撃による痛みだった。

3人組が使ったのはテーザーガン。暴漢を無力化するため、電極を打ち出して電流を流す、低致死性の道具である。

犯人たちはストラディバリウスを奪い、バンに乗って逃げていった。

 

特殊な凶器を使った犯行は有効だったのだろうか?結論から言えば悪手以外の何物でもなかった。

テーザーガンは、電極の射出と同時に識別コードが印刷された紙吹雪が散る。本来、法執行機関の誰が使用したのか判別するための役割を果たすためのものだ。

犯行現場に残された識別コードから足が付き、犯人たちは6日後には逮捕されるに至った。

 

犯人たちは楽器の行方については口を閉ざした。

しかしさらに3日後、ある家の屋根裏部屋から、スーツケースに入ったリピンスキー・ストラディバリウスが見つかった。


発見されたリピンスキー・ストラディバリウス 引用:AFP (c)AFP/getty Images/Tom Lynn

 

犯人のうち1人は、過去にも美術品盗難の前科があった。

前回の計画では何年か安全な場所に保管して、騒動が収まってから取り出し、何かしらの売買を行おうとしていたとされている。

ミルウォーキー警察署長は、「理論的には(今回も)それが彼の計画であった可能性がある」と語った。

 

現実は厳しい。年単位どころか、わずか9日で全ての計画が破綻したのだ。

 

組織的犯行が疑われるケース

ここからは犯罪組織の関与が疑われるケースを紹介する。

キーワードは「麻薬」である。

 

麻薬ディーラーのベッド下から

2005年の事件である。被害者は大村多喜子氏、盗まれたのはバイオリン、ニコロ・アマティ。

東京で盗まれたバイオリンは、15年後、海を越えてイタリアのパルマで見つかることになる。

 

パルマ警察が麻薬密売の容疑者の家宅捜査をしていると、ベッドの下からバイオリンを発見。弓はなかったが、予備の弦に日本語のラベルが張られていた。

偶然の発見だった。その時、麻薬ディーラーはバイオリンを手に入れた経緯を説明できなかった。

後に「祖母がコロンビアで購入したもので、義理の姉が受け取ってイタリアに持ってきた」と説明したが、不自然な点が多いとして警察は疑念を強めていく。

 

パルマ警察は盗品の可能性が高いと判断し、警察が使用しているデータベースを検索したが、一致する情報は見つからなかった。

楽器は絵画以上に、一元化された盗難データベースを欠いていた。それが捜索を阻んでしまったのだ。

当局はバイオリンの専門家に見つかった楽器の来歴を調査するよう依頼。ネットを駆使した調査の結果、日本で2005年に盗まれたニコロ・アマティであることが分かった。

 

2020年、盗品受領の容疑が加わった麻薬ディーラーと、ニコロ・アマティが盗まれた東京がついに繋がった。

しかし大村多喜子氏は2012年に亡くなっている。生前に愛器との再会を果たすことはできなかった。

 

残念なことではあるが、被害者の死後に盗品が見つかるのは、美術犯罪では珍しいことではない。

1980年にストラディバリウスを盗まれたロマン・トーテンベルクは、バイオリンが返ってくると思うか聞かれるたびに、こう答えたという。「私がくたばった後にな」

その言葉通り、トーテンベルクの死後にストラディバリウスは戻ってきた。

 

25万ユーロの楽器を200ユーロで売却

2019年3月、ベルリンの音楽院から盗まれたバイオリンはニコロ・ガリアーノ作のものだった。

ガリアーノのバイオリンは世界3大バイオリンに含まれてはいないが、それでも盗まれたものは25万ユーロに相当する。

明らかに犯人はその価値を知らなかった。歴史的な楽器を、わずか200ユーロ(2万5000円程度)で売ったのだから。

 

バイオリンの発見はまたしても偶然だった。

ベルリン警察は、傷害、監禁、脅迫の疑いで5人の男を捜査していた。そのうち1人の家を調べたところ、麻薬3キロと盗まれたガリアーノのバイオリンが見つかったのだ。

5人の中にはバイオリンを盗んだベルトルド・Sと、彼からバイオリンを買った人物がいた。

 

ベルトルドは麻薬中毒者でもあったという。しかも当初の標的は自転車だったと証言している。バイオリンを盗めたのも偶然という訳である。

彼はたとえ200ユーロでも、麻薬を買う金が欲しかったのかもしれない。

 

事件から3年後に見つかったガリアーノのバイオリンは、現在ハンブルクの財団の元へ戻っている。

この財団は「ドイツ音楽生活基金」という非営利団体。才能の有る若き音楽家に、楽器を長期貸与する支援活動を行っている。

「幸いなことに、自分の楽器がクローゼットの中で埃をかぶるのを望まない方々がいるのです」と、広報担当者は言う。

 

楽家は、30歳になると楽器を返さなければいけない。今回バイオリンを盗まれた生徒も、もう30歳になる。

生徒は楽器の返還をたいへん喜んでいるようだ。

 

 

あとがき

 

バイオリンに関しても「有名すぎると売れない」という闇市場の原則がよく語られます。

私もおおむね同意してはいたのですが、最近は少々疑問に思うこともしばしば。

 

強奪犯→盗品故買者→犯罪組織

このリンクは強力ですね。

 

 

参考文献

 

3大バイオリンの歴史に詳しいもの

https://tarisio.com/cozio-archive/browse-the-archive/makers/
https://www.fuku-chan.info/column/gakki/13413/

ピエール・アモイヤルの事件に詳しいもの

https://www.upi.com/Archives/1990/07/12/Violin-owner-rejects-Calabrian-ransom-demand/5662647755200/
https://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1991/04/09/torino-liberato-lo-stradivari-rapito.html?ref=search
https://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/1991/04/10/lo-stradivari-ritrovato-suonera-per-carabinieri.html?ref=search
https://tarisio.com/cozio-archive/cozio-carteggio/amoyal-heifetz-kochanski-stradivari/
The Violin: A Social History of the World's Most Versatile Instrument. David Schoenbaum著. W W Norton & Co Inc. 2012.12.10

フランク・アーモンドの事件に詳しいもの

https://archive.jsonline.com/news/opinion/milwaukee-got-it-right-on-violin-theft-but-what-about-next-time-b99202259z1-244798371.html/
https://www.italymagazine.com/featured-story/stolen-stradivarius-violin-worth-millions-recovered

大村多喜子の事件に詳しいもの

https://www.zenger.news/2020/10/15/vid-valuable-violin-found-under-drug-dealers-bed/
https://www.prpchannel.com/en/parma-ritrovato-dagli-agenti-un-violino-amati-del-1675-rubato-in-giappone/

ガリアーノのバイオリンに詳しいもの

https://www.classicfm.com/music-news/stolen-gagliano-violin-sold-pawn-shop/
https://www.globaldomainsnews.com/berlin-police-find-stolen-violin-from-18th-century-in-raid
https://www.classicfm.com/discover-music/instruments/violin/stolen-gagliano-sold-recovered-police/
https://california18.com/seized-violin-will-soon-be-played-again/6599672022/

 

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